<つづく>


四万十川を挟んで対峙した

長宗我部勢と一条勢の戦いは

兵数において長宗我部勢が

圧倒的な優位でしたが

両陣営の思惑は異なりました。


長宗我部勢は土佐国から

一条勢を完全に駆逐することが目的であり

一条勢は土佐中村の死守が目的です。


両者の目的の性質上

長宗我部勢は攻めなくてはならず

一条勢は守り切って長宗我部勢が引くか

和睦に持ち込めれば良いのです。


そのため長宗我部勢は

杭による防衛線が張られた四万十川を

なんとかして渡らなくてはなりません。


しかし長宗我部勢の先鋒部隊が

川を渡ろうとすると
一条勢は鉄砲や弓を撃ちかけました。


長宗我部勢の第二陣は福留儀重の部隊でした。

かつて安芸氏の岡豊城侵攻を

勇猛に防いだ福留親政の子です。


福留儀重も父に劣らぬ勇猛な武将で

土佐国に伝わる童謡に歌われているそうです。


♪蛇もハミもそちよれ、隼人様のお通りじゃ

というフレーズがあるそうです。

隼人というのは

福留儀重の隼人佐という呼称です。

ハミというのはもれ地方では

マムシのことを指します。

四国中国地方で広く使われる方言です。



凶暴な蛇やマムシですら

福留儀重が通ると言えば

道を空けるということでしょうね。



福留隊は部隊を率いて

杭の無い上流へ向かいました。


その動きを見た一条勢は

挟撃されることを避けるため
軍勢をふたつに分けて一隊を上流へ向かわせました。


福留隊は陽動部隊でした。

ただでさえ寡兵の軍勢を
ふたつに分けるのは失策にも思えますが
福留隊を放置すれば川を渡り背後を突かれます。


背後を突いた福留隊と戦っている間に

長宗我部本隊が川を渡り
前後から挟撃されることは

容易に想像できますので放置もできません。


寡兵では仕方がなかったと言えます。


長宗我部勢のこの作戦は

兵数差がある場合の王道的な作戦と言えます。


いずれにしても兵数に劣る一条勢は

陽動部隊も放置できなかったのですね。



元親はこの機を逃さず
全軍で四万十川を渡りました。


一条本軍は倍以上の長宗我部勢の攻勢で
総崩れとなりました。


一条兼定は瀬戸内に逃れて
後に死去しています。


この四万十川の戦いは

数時間で決着したといわれており
長宗我部勢の被害はほとんど無かったそうです。



この戦いで元親は一条残党の

反長宗我部勢力を完全に駆逐し

土佐国を完全に手中に治めました。


この戦いに先立って元親は
一条氏を攻めることをためらったそうです。


かつて長宗我部氏が滅亡の危機に瀕した際に
父・国親が一条兼定の祖父・一条房家の保護下で
生き延びたという大恩があるためです。


迷う元親に対して弟・吉良親貞は
「一条氏の恩を仇で返して
 天罰が下るならば私が受けましょう」
と言って元親を説得しました。


やがて吉良親貞はその言葉通り
一条氏滅亡後、しばらくして死去してしまった
という逸話が残っています。


現段階では吉良親貞は生きていますので
しばらくは活躍しますよw^^;


<つづく>