<つづき>


1574年
一条氏で内紛が生じました。


一条氏当主・一条兼定は
国政から離れて遊興にばかり
興じるようになっていました。


知勇兼備の名将として知られた
一条氏筆頭の重臣・土井宗珊(そうさん)
兼定の遊興を諌めました。


しかしこれに激怒した兼定は
土井宗珊を手討ちにしてしまいました。


土井宗珊を失ったことは
弱体化していた一条氏の
命運を絶ってしまったといっても
過言ではありません。

この当時、一条氏を支えていたのは
間違いなく土井宗珊だったのです。


この土井宗珊の処刑には異説があります。


元親は名将として知られた土井宗珊を
家臣に加えたいと考え
度々調略の手を伸ばしました。


しかし土井宗珊は忠義の臣で
一条家を裏切ることはありませんでした。


土井宗珊を寝返らせることが
難しいと踏んだ元親は
一条氏に対して
「長宗我部が土井宗珊を調略している」
という情報をわざと流しました。


一条兼定は土井宗珊が
長宗我部氏と通じていると疑い
処刑してしまったというものです。


戦国時代にはよくある偽報ですが
元親が調略の手を伸ばしていたのは事実です。

ウソは事実を組み合わせることで
真実味を増すと言いますから

一条氏が策略にはまってもおかしくはありません。


元親はこの土井宗珊手討ち事件に乗じて
一条家臣らに対して流言、調略を進めました。


元親の流言に乗った家臣らは

クーデターを起こし
当主・一条兼定を追放しました。

兼定は妻の実家である
九州・大友氏へと逃亡しました。


一条兼定が追放されると元親は
クーデターを起こした一条家臣を

 当主を追放した謀叛人

と呼び

反乱鎮圧を名目として土佐中村へ

侵攻しました。

謀叛の原因となった流言は
元親が秘密裏に流したものなので
全てが計画通りに運んだということです。


元親は兼定の子に娘を嫁がせることで
一条氏を長宗我部氏の傀儡とすることに成功しました。


ついに土佐国を統一したかに思われましたが

追放された一条兼定も黙ってはいませんでした。


<つづく>