<一昨日のつづき>


元親が家督を相続した
1560年の他国の情勢を見てみます。


いつもの寄り道です^^


土佐国内の七雄と呼ばれた有力国人は
三つの勢力が残るのみとなっています。


長宗我部氏
本山氏
安芸氏
山田氏・・・長宗我部氏により滅亡
香宗我部氏・・・長宗我部氏傘下(家督乗っ取り)
吉良氏・・・本山氏傘下(家督乗っ取り)
大平氏・・・一条氏傘下
津野氏・・・一条氏傘下
※山田氏・香宗我部氏は
 どちらを七雄とするかが研究者の間でも
 異なるため両者を書きました。



土佐国南西部は一条氏が
勢力を広げており、仁淀川を挟んで
本山氏、長宗我部氏と隣接しています。


四国内の状況を見ると

伊予国南部の宇和地方では
宇都宮氏、西園寺氏が
一条氏の傘下に降っています。


ただし、宇都宮氏については
一条氏と婚姻関係を築いていたので
正確には傘下ではなく同盟なのかもしれません。


伊予国の中部から東部は
守護・河野氏が治めています。
東部はかつて細川氏によって奪われていましたが
畿内の騒乱と三好氏の台頭で
細川氏が弱体化した隙を突いて
河野氏が再び奪還しています。


阿波国・讃岐国は守護・細川氏を
事実上、傘下に降した三好氏が領しています。



九州の北部には既に大内氏は無く
大友氏が第一の勢力となっており
龍造寺氏、阿蘇氏は
変わらず圧されています。


現・長崎県では松浦氏、有馬氏が
それぞれの版図を築いています。


九州南部は島津氏が分裂状態を回復して
肝付氏や伊東氏、相良氏などに対し
反攻を開始し始めた時期です。


中国地方では
陶氏を滅ぼして旧大内領を併呑した
毛利氏が尼子氏と争っています。


東部の播磨国では旧赤松氏傘下の国人らが

尼子氏傘下に入っていましたが

西から迫る毛利氏の影響で

付いたり離れたりして混沌としている時期です。



近畿地方は三好氏が席巻しており
かつての名門・畠山氏、山名氏、一色氏などが
抵抗している時期です。



中部地方は織田氏が尾張国を統一し
今川義元を桶狭間の戦いで破りました。

今川氏はここから急激に弱体化しつつあり

三河国で松平氏が反旗を翻しました。


美濃国では斎藤氏が六角氏と結んで
織田氏、浅井氏と抗争しています。


甲斐国、信濃国は大半を武田氏が制しており
第四次川中島の戦いが間近に迫っていました。


関東地方は上杉氏と北条氏が
激しく戦っていますが
情勢が上杉氏に傾いた時期で
上杉氏による小田原包囲が目前でした。

※便宜上、上杉方の勢力と北条方の勢力で

 色分けしています。

こちらも付いたり離れたりがコロコロ変わるので

ざっくりです^^;


東北地方では
伊達氏が勢力を伸ばしつつありますが
まだまだ群雄が割拠しており
数多くの勢力が凌ぎを削っています。


戦国時代真っ只中という時期ですね。


<つづく>