<一昨日のつづき>


話が少し前後しますが
七雄のひとつ津野氏
1543年に一条房基に降伏して
家臣になっています。


津野氏は藤原氏の藤原経高
罪を犯して伊予国へ落ち
その後、土佐国へ移り住んだのが
始まりだとされています。


藤原経高は移り住んだ
高岡郡津野山を開拓して所領としたことから
津野経高と名乗ったと言われていますが
信憑性は低いそうですw


津野山がどの山だったかも判然としないようで

同名の候補地が数箇所あります。


長宗我部編は信憑性の低い俗説が
あまりにも多いので困ってしまいます^^;


津野氏は姫野々城を本拠として
地頭職を歴任しました。


途中、伊予国河野氏から
養子を入れるなどしているようです。


一条氏に攻められて降ったのは
津野基高だとされています。
基高という名前は一条房基からの偏諱だそうですが
偏諱を受けた時期が降伏後なのか

それ以前なのかが定かではありません。


今回書いている1543年の降伏の前にも
臣従に近い形で一条氏の傘下にいたようです。

いつ頃、一条氏に降っていたのかは不明ですが

津野基高が当主の期間に降っていたと思われます。
1542年に謀叛したものの敗退して

完全に降伏したようです。


曖昧^^;


<つづく>