<一日空けてつづき>


9月9日20時頃

海津城の武田陣営では
翌朝、濃霧が発生すると予測されたため
深夜に啄木鳥作戦が開始されることが

決定されました。


対する上杉政虎は
この夜、武田勢の奇襲があることを
看破していました。


政虎が察知した要因は

武田勢が作戦に備えて食事を作ったため

その煙がいつもより

多かったからだとされています。



政虎は妻女山の陣に篝火と
陣を維持する100人ほどの兵士を残すと
9月9日の23時ごろに
物音を立てずに全軍で

海津城の反対側から下山を開始します。



看破されているとは知らない武田勢は

9月10日の午前1時ごろに作戦を開始します。


高坂昌信、馬場信房ら
12,000人の兵が別働隊として
妻女山の背後から
上杉勢の陣へと向かいました。


翌早朝3時頃
信玄は残りの8,000人を
二つに分けました。


海津城守勢を残して城を出ると
武田本軍は妻女山の麓、
千曲川を挟んで広がる
八幡原へ移動を開始しました。



武田本軍の兵数については諸説あり
定かではありませんが
このブログでは5,000人説を採用しますね。

海津城の守勢を考えると
その説が濃厚かな?と感じるので^^;


ただ奇襲をかける別働隊が12,000人で
待ち受ける本陣が5,000人という構成は
配分に多少の違和感を感じますね^^;


妻女山には13,000人の上杉勢が
布陣しているのです。


平地での合戦と違って
山上では戦える場所が限られますから
奇襲して追い落とす部隊に
12,000人を動員するのは
あまり良策とは思えません。


5,000人で奇襲を仕掛けて
12,000人で待ち受ける方が
良い気がしますが

もれは用兵の素人なので

これ以上の評価は差し控えます^^;


<つづく>