<つづき>


隠岐為清の反乱を鎮圧した尼子再興軍は
再び月山富田城に向かいました。


この時期の毛利軍はというと
1569年12月に吉川元春、小早川隆景ら
毛利本軍は大内輝弘の乱の鎮圧を完了し
吉田郡山城に帰還していました。

軍勢を整えると1570年2月に
毛利輝元を総大将とする
尼子討伐軍が出兵しました。


先の大友攻め、大内輝弘の乱鎮圧、
今回の尼子討伐軍など
元就は指示を出すのみで
合戦に参戦しておらず
高齢で既に合戦に耐えられるだけの
体力は無かったのかもしれません。


毛利軍は出雲へと一気に進軍し
尼子方に落ちた城を奪回しつつ
尼子再興軍が攻撃中の
月山富田城へと迫りました。


1570年3月毛利軍の接近を知った
尼子再興軍は月山富田城の
南南西約10kmほどの場所にある
布部山に陣を張りました。




布部山の2つの登り口に
尼子再興軍7千を二手に分けて布陣しました。


山中鹿介・立原久綱は
吉川元春・小早川隆景と対峙し
一方の登り口では
秋山家久・横道正光が
福原・桂軍と対峙しました。


毛利軍は地の利を活かした尼子軍を
攻めあぐね、尼子有利の展開でしたが
吉川元春が自ら別働隊を率いて
細い間道から布部山頂へ登り
そこから尼子本陣を強襲しました。


本陣を突かれた尼子軍は総崩れとなり
新山城へと撤退しました。


この撤退の際にも
殿は山中鹿介が担当しています。


殿の防戦にこそ

山中鹿介の真価があるのかもしれませんね。


<つづく>