<つづき>


織田氏との合意で保護した

将軍・足利義昭ですが

彼は落ち延びる際に野盗のような連中に

身包み剥がされるなど

散々な目に遭っていました。


そのため自分を追放した

織田信長に対する恨みは凄まじく

全国の大名に対して

織田氏討伐の密書を送るなどしました。


追放されたとはいえ将軍です。

その威光はあなどれません。

また守護代の分家という家柄から

成り上がった織田信長を毛嫌いする

大名も多かったため

多くの大名が反織田氏を名目に

挙兵しています。


これまで織田氏と

良好な関係にあった毛利氏も

石山本願寺の挙兵を機に
反織田勢力となることを決定しました。


将軍・足利義昭の呼びかけ以外にも

要因はあったのでしょう。


織田信長は同盟関係にある大名に対して

金山・銀山などを接収したり

上納金を納めるように

圧力をかけたりしていました。

毛利氏にも同様の圧力を

かけたのだと思われます。


もしくは先の三村氏のように

毛利氏傘下の大名・国人領主らを

勧誘したのかもしれません。


同時期には上杉謙信も反織田を宣言して
加賀、越中などで織田氏と戦っています。


この大名の一連の動きは
第三次信長包囲網と呼ばれています。


毛利氏が本格的に織田氏と戦い始めたのは
1576年7月前後でした。

毛利氏は包囲された石山本願寺へ

海上から兵糧や物資を

秘密裏に送り込んでいました。


織田氏はそれを察知すると

物資搬入を阻止すべく

水軍を繰り出したために

戦いが生じました。

第一次木津川口の戦いと呼ばれます。



第一次木津川口の戦いに至る経緯を見ると

現在の集団的自衛権の危うさを感じます^^;

同盟国を支援していて実戦に・・・

などということが無いことを祈ります。

話が逸れました。



この戦いにおいて

毛利水軍の焙烙玉(ほうろくだま)
同じく石山本願寺を支援した

雑賀衆の焙烙火矢(ほうろくひや)という

いわゆる新兵器が導入され
織田水軍は壊滅的打撃を受けました。


焙烙玉というのは
陶器のようなものに火薬を詰めて
導火線に火をつけて敵へ投げ込む
いわゆる手榴弾や火焔ビンのようなものです。


この戦いには尼子再興軍との戦いで
日本海を制圧した児玉就英や
厳島の戦いで活躍した
乃美宗勝、村上吉充、村上元吉といった
毛利水軍の主要な武将が参戦したようです。


これ以降、織田氏は毛利氏を敵とみなし

羽柴秀吉を総大将とした毛利討伐軍を派遣して
中国地方への本格的な進出を開始しました。


<つづく>