<つづき>


毛利元就死去に伴い

毛利輝元編に移行しました。


元就に比べて小粒な印象の輝元なので

もれとしては好みの武将ではないのですが

毛利氏の行く末を見るということで

輝元編も書くことにしました^^;


毛利輝元は1553年
毛利隆元の嫡男として誕生します。
幼名は幸鶴丸でした。


1553年というと

大内義隆が陶晴賢の謀叛で自害し

祖父・毛利元就が大内氏から独立する直前です。



1563年に父・隆元が食中毒、または毒殺されて

急死したため11歳で家督を継承しますが
若年でしたので祖父・元就が後見となりました。

後見というより実質的に元就が
当主に復帰したと言っても良いでしょうね。


1565年に元服し
当時の将軍・足利義輝の偏諱を受けて
毛利輝元と名乗りました。


同年、月山富田城の戦いが初陣となりました。

以降、元就や叔父・吉川元春、小早川隆景らから
当主としての考え方などを学びました。


1571年に祖父・元就が死去したため
正式に当主の座に着きました。


元就の遺言に従い
吉川元春、小早川隆景の両川体制を維持しつつ
両者の意見や指導を受けつつ
毛利家の舵取りを始めました。



え~尼子義久同様

簡単すぎる生い立ち紹介でしたwww

元就や元春・隆景が大きすぎて

出る幕が無かったのです^^;


祖父・元就の生前から勃発していた

尼子再興軍の反乱は
児玉の水軍が日本海の制海権を奪還して以降、
毛利氏優勢となり
1571年9月に尼子再興軍の足場であった
新山城を陥落させます。


尼子再興軍の旗頭であった尼子勝久は
落城前に隠岐へと逃亡しました。
末吉城で篭城していた山中鹿介も
吉川元春に捕らえられ尾高城へ幽閉されました。


これにより尼子再興軍は瓦解し

先の大内輝弘の乱と併せて
毛利領内の東西の反乱は鎮圧されました。



その後、尾高城へ幽閉された山中鹿介は
隙を見て逃亡しています。
これについては山中鹿介の紹介の際に
書きたいと思います。


なんだか輝元編に入ってから

浅い記事になってますね^^;


<つづく>