<つづく>
月山富田城では食料が不足し始めました。
飢えた城兵は城を抜け出して
毛利軍に投降しようとしますが
元就はこれを許さず
月山富田城の眼前で処刑しました。
残酷な所業ですが
脱走兵を赦すとその分の兵糧が
別の者の食い扶持となります。
見せしめとして脱走兵を処刑することで
その後の脱走兵を無くし
一人でも多くの城兵を残すことで
少しでも早く城内の兵糧を無くするのが狙いでした。
徹底した兵糧攻めで
月山富田城では兵糧が尽きて
餓死者も多く出ました。
元就は間者などを通じて
城内で餓死者が多く出ているという情報を得て
初めて投降を認めるという高札を立てました。
これを見た城兵は続々と投降し
中には尼子家の譜代の家臣も含まれていました。
尼子十旗の牛尾久信はかつては毛利に降伏したものの
本城常光誅殺の一件で尼子に帰参し
白鹿城に篭城するも重傷を負って
毛利軍によって月山富田城へ送られていました。
この牛尾久信もまた飢えて
父子で城を抜け出して投降しています。
1566年になって
飢えた月山富田城内では
尼子義久をはじめとして
重臣・家臣らが対策を論じるも
いずれも良策ではなく
徐々に互いを牽制しあうようになります。
腹が減って苛立つのは誰しも同じです^^;
ですがこれは単に議論が対立したために
生じたものではありませんでした。
元就の送り込んだ間者による離間策によって
互いが疑心暗鬼に陥っていたのです。
先に秘密の間道から食料を運び込むなどしていた
宇山久兼は対立した者の讒言により
当主・尼子義久から謀叛の疑いをかけられて
誅殺されています。
元就の思うがままですね。
<つづく>