<つづき>
大寧寺は大内氏が厚く保護していた寺院で
住職・異雪慶殊(いせつけいじゅ)は
「大内氏と共に滅びよう」と
義隆らを受け入れました。
山門の前で下馬して兜を脱ぎ
傍らの小池で汚れた身体を
清めようとする義隆には
華やかな貴族主義の様相は既になく
疲れ果てた骸のようだったそうです。
大寧寺には今も兜掛けの岩と姿見の池が
残っているそうです。
寺院に入った義隆は住職・異雪に
同行していた嫡子・義尊(大寧寺には新介と伝わる)や
先に陶方との和議交渉役を務めて落命した
二条尹房の遺児を託して切腹しました。
冷泉隆豊は義隆を介錯し
客殿に火を放ちました。
冷泉をはじめ、岡部隆景など
最後まで義隆に付き従ってきた家臣らは
客殿が焼け落ちるまで
攻め寄せる陶方の兵を切り伏せるなどして
義隆の遺骸を守りました。
そして最後には
腹を十文字に掻き切って内臓を掴むと
天井に打ちつけて
自ら炎の中に飛び込んで自害したということです。
異雪住職に託された
義隆の嫡男・義尊などは
陶方に捕らえられ殺害されてしまいました。
炎は燃え広がり
大寧寺のほとんどを焼き尽くしたそうです。
大内氏を惰弱にした張本人である
大内義隆とその遺児・義尊を誅したことで
陶隆房の謀叛はひとまず成功したことになります。
さらに筑前に逃げていた
相良武任、杉興連ら文治派も
大内義隆同様、大内氏を惰弱にした
一派ということで捕らえて殺害しました。
謀叛により大内氏の主権を得た陶隆房は
豊後国守護・大友義鎮(宗麟)の弟・大友晴英を
大内家の後継者・大内義長として擁立したのです。
大内義長擁立の経緯は大内義隆編で
書きましたので省略します。
ということでひとまず陶晴賢の生い立ちから
大内義隆編の最終話の段階に
たどり着きました^^
引き続き陶晴賢(大内氏)滅亡までを
見ていきます。