<つづき>


義隆は自らが総大将となり傘下の国人領主に
出兵を要請して山口を出立しました。

総大将といっても
実際の指揮は陶隆房が執っていたようです。


大内氏をはじめ

中国地方西部の国人領主は

厳島神社を崇拝しており

大内義隆も厳島で戦勝祈願をして

一路、出雲国へと進軍を開始しました。


ゆっくりと進軍しながら

周囲の国人領主の合流を受け入れて

軍勢はどんどん強化されました。

異説として散発的に

親尼子派の国人領主の抵抗があり

その収拾に手間取ったというものがあります。


尼子勢の主要拠点のうち

最も安芸・備後寄りに位置していた

赤穴城を落とし
その後もゆっくりと進軍しました。



1年をかけて月山富田城に迫ると
1万5千を越える全軍で月山を包囲します。



包囲後もしばらくは積極的な攻勢には出ず
というか、月山富田城が堅牢過ぎて
積極的に攻められなかったのかもしれませんが
2ヶ月ほど睨みあいが続き
1543年3月に攻城戦が始まりました。


傘下の毛利勢などを繰り出して
月山富田城の三箇所ある登城口を攻めますが
いずれも撃退されるなどして
思うような戦果が挙がりません。


さらに尼子勢のゲリラ作戦で
補給部隊が兵糧を奪われるなどして
攻城戦継続すら危うい状況に陥りつつありました。



※この図は先日の尼子晴久編同様

 戦国探求様HPより転載させていただきました。


 許可は得てないのでリンクを張っておきます^^;

 


戦況は徐々に尼子勢の粘り勝ちに傾きつつありました。


尼子勢有利と見た吉川興経、本城常光ら
元尼子傘下の国人領主が尼子氏の誘いに乗り
城に攻め寄せるフリをして尼子方に寝返りました。


KOEIの歴史シミュレーションゲームの

信長の野望や三国志シリーズの

古いバージョンでは

史実上、主君を裏切った武将は

何度も寝返るという仕様でしたが

吉川興経や松永久秀などは

その最たる例ですね^^;

松永は能力が高いので離反させないために

忠誠度の低下防止で恩賞を与えてました。

吉川興経は・・・まあ、離反したらしたで

次捕らえたら打ち首なんて感じでしたが^^;


もれの印象で本城常光に関しては

寝返り易いという記憶は無いのですが・・・。


また脱線しかけましたw


この寝返りで月山富田城の包囲陣は崩れ
大内義隆は撤退を決定します。


<つづく>