<つづき>
大内勢の本隊は当主・大内義隆を総大将として
1542年1月11日(旧暦)に山口を出陣しました。
同19日に厳島神社で戦勝祈願後
安芸、備後、石見の国人領主の合流を迎えつつ
出雲へ向けて進軍し
まずは通り道である石見へ向かいます。
山口出発時、1万5千の軍勢でしたが
養嗣子の大内晴持をはじめ
毛利氏などの国人領主も合流したため
これまでにない規模の軍勢でした。
大内勢が出雲国内へ進入したのは
4月になってからでした。
これは周辺国人領主の合流を待って
ゆっくり進んだという説と
尼子勢の抵抗があったという説が
あるようですが詳細はわかりません^^;
約2ヵ月後の6月7日に
赤穴城(瀬戸山城)攻城戦が開始されますが
尼子氏の援軍を得た
赤穴城主・赤穴(あかな)光清は
2ヶ月間粘りました。
7月27日に赤穴光清が戦死し
光清の父・久清は大内氏に降伏しました。
その後も尼子勢は粘り強く対抗しますが
徐々に圧されて石見国内の尼子氏拠点は
大内氏に侵略されます。
1542年10月。
本隊は現在の雲南市付近の三刀屋峰に陣を置き
その後、12月ごろに宍道の畦地山へ陣を移し
月山富田城と対峙する京羅木山に陣を置いたのは
1543年に入ってからでした。
1年をかけて月山富田城へ到達したことになります。