<前回のつづき>


嫡男・信忠は第二の正室・吉乃の子で
信長の第一子として生まれました。
※信正という庶兄がいたという説も
 ありますが、確かな記録が無く
 一般的には信忠が第一子です。


幼名は奇妙丸。
元服して織田信忠と名乗ります。


元服すると信長に従って石山合戦や
伊勢長島攻め、長篠の戦いなどに参戦します。


美濃・岩村城が武田氏の手に落ちると
総大将として出陣し、
岩村城奪還に成功しています。


翌1576年に信忠は

父・信長の安土城への転居に伴い
尾張・美濃の織田家を継承し
岐阜城主となりました。


その後も雑賀攻め、松永討伐、
武田征伐などで活躍しますが
本能寺の変の際に26歳の若さで自害しています。


本能寺の変の際、信忠は信長とともに

京都に居留しており、異変に気づいて

本能寺へ駆けつけようとしますが

明智軍に取り囲まれており

父を救えずに自害したといわれています。

・・・が、信忠と同じ場所に宿泊していた家臣の一部が

脱出に成功しており、一説では

早々に逃げることを諦めたともされているようです。

嫡男であれば逃げ延びるべきだったのでしょうか?

嫡男だからこそ逃げるわけにはいかなかった

とも思えます。


凡庸という評価を受けることが多いようですが
信長の後継者として足るだけの能力は
持っていたとする評価もあるようです。


信長と比較するのはかわいそうです^^;

信長に比較すると戦国時代の大名・武将の

大半が凡庸になってしまいますから・・・。


<つづく>