<前回のつづき>


浅井氏と織田氏が同盟を結ぶと
織田勢は物凄い勢いで斉藤氏を滅ぼし
美濃国を手中に収めました。

※浅井氏が西からプレッシャーを与えたことも

 信長の美濃攻略を容易にしたと思われます。

 

その直後に室町幕府将軍・足利義輝が殺害され、

浅井家の同盟国である朝倉家に
義輝の弟・義昭が保護されました。


義昭は朝倉義景の元を去り
織田信長とともに上洛を目指しました。


この上洛に六角氏が反発したため
長政も織田勢とともに六角勢を攻めました。

六角氏は南近江の甲賀郡へと逃げ落ち、
長政にとっての長年の宿敵は
居なくなったことになります。


長政も義昭の上洛を補助し
足利幕府第十五代将軍への擁立に成功しました。


義昭が将軍についたことで織田氏と浅井氏の

親密度は上がっていましたが
ここで事件が起こります。


信長は将軍を介して朝倉義景に
上洛して新将軍への挨拶を求めていました。
しかし朝倉義景がこれを拒否したため
織田・徳川連合軍は朝倉氏追討に挙兵します。


織田家との同盟の際に交わした
朝倉氏との不戦の約束
反故にされたことになります。


長政は義兄である信長を取るか
朝倉氏との友誼を取るかで
かなり悩んだようです。


親朝倉派の家臣は
追放していた長政の父・久政
隠居先から連れ戻して
朝倉方に味方するように進言させたため
長政は約束を反故にした信長に対して
挙兵することを決めます。


この一件において
事の趨勢を見誤ったとして
浅井長政の知力を低く見る傾向が
ありますが、もれはそう考えていません。


長政が義を重んじたということであり
三国志の関羽や諸葛亮のそれと
変わらないと思うのです^^


むしろ父・浅井久政の能力を疑いますね^^;


<つづく>