<前回のつづき>


このような情勢の中、尾張国を統一し
今川義元を破った織田信長から
同盟の提案がありました。


浅井家中は賛否両論に分かれたようです。

浅井氏にとっても美濃・斎藤龍興とは

敵対関係にあり、歓迎すべき提案ではありました。

しかしながら浅井家は越前・朝倉氏と
懇意にしていました。

信長の西美濃衆の懐柔策により、
織田領と朝倉領が峠を介して接したことで
お互いに牽制を繰り返しており
 織田氏との同盟は朝倉氏との関係に
 悪影響を与える

というのが反対派の主張でした。
※峠というのは現在の
 九頭竜湖東の油坂峠です。


結局、長政は
 信長と不仲になっている朝倉氏との不戦
 朝倉氏と事を構える場合には
 必ず浅井氏に一報すること
を条件に織田氏との同盟を受諾し
信長の妹・を娶りました。


多くの歴史時代劇で
長政は嫁いで来た市を一目見て
惚れ込んだといわれています。


織田信長を含めて同腹の弟・妹は
美形揃いだったと言われており
この事から戦国一の美女とも伝わります。
※もれ論ですが、大名、武将の子や姫が
 美形なのは至極当然だと思っています。
 権力者である彼らが
 美しいと見初めた女性を妻、
 もしくは側室として娶ることを考えれば
 生まれてくる子が美形である確率は
 とても高いですからね^^
 うらやましいのぉ・・・;


市は当時としては長身で
見上げるほどの天女とも伝わります。


文武に優れており、信長は
市が男児なら、と言ったそうです。


容姿端麗で聡明な女性だったようですね。

信長もこの婚姻をとても喜びました。
この時代のしきたりでは、結婚資金は
婿が負担することになっていましたが
信長が全額を負担したそうです。

それだけ信長が浅井長政という人物を
高く買っていたということですね。


のちに信長が徳川家康と同盟を結んだ際に
家康、長政という二人の名将と同盟を
結べたことで誰にも負ける気がしない
と述べたという逸話も残っているようです。


家康との同盟のすぐ後、長政とは
決別することになるのですが・・・

それはまた少し先の話です。


<つづく>