<前回のつづき>


朝倉勢は北近江で織田勢と合戦に及びますが
暴風雨を利用した信長の奇襲により大敗。


義景は浅井長政と連携を取れないまま
越前へと撤退を始めましたが
信長は既にこの撤退を看破していました。

朝倉勢は信長本隊の追撃を受けて
壊滅的敗北を喫します。

この合戦で主だった武将に加えて
朝倉家で保護していた斎藤龍興
戦死しています。

こんなところで生きていたのですね^^;



義景は本拠地の一乗谷を目指しますが
到着時には10人ほどに減っていました。


この敗北を知った朝倉家臣は
大半が四散しており
最終決戦として挙兵する義景に従ったのは
朝倉景鏡だけでした。


一乗谷を放棄して領内の寺院を
逃げ惑う義景に対し
織田勢は柴田勝家を先鋒に領内を
次々と焼き払ってしまいました。


さらに唯一の味方であった朝倉景鏡も
織田方に寝返り、義景らの立て籠もっていた
賢松寺に攻め込んできました。


義景は自害し、一族もことごとく殺害され
朝倉氏は滅亡しました。

義景の首は京都の獄門にさらされたそうです。


信長の逆鱗に触れてしまったために

降伏勧告どころか、

助命すら許されませんでした。


<つづく>