<歴史好き 朝倉義景 5のつづき>


長らく間が空きました^^;


浅井氏の強い要請を受けて

信長包囲網の一翼を担っていた

朝倉勢でしたが消極的な戦闘を

繰り返すのみでした。


10月になると信長包囲網の主力とも言うべき

斐国・武田信玄が征西を開始しました。


朝倉義景は武田氏の挙兵を

待っていたようにも思われます。

いかにも慎重な義景らしいです^^;


織田氏の同盟国・徳川氏は

武田勢の猛攻に支城を
次々に落とされて窮地に陥っていたため

信長は浅井氏の居城・小谷城に近い
虎御前山(とらごぜやま)砦に

羽柴秀吉軍を残して三河救援に向かいました。


武田信玄は征西にあたり
朝倉義景に歩調を合わせての
織田勢挟撃を打診していたが
浅井・朝倉連合軍は羽柴軍に敗退し
武田勢との挟撃に失敗します。


12月になると朝倉義景は積雪を理由に
越前へと撤兵してしまいます。


これを知った武田信玄は
激しく非難する内容の書面を
義景に送りつけています。


この時点で義景は

織田勢のことは武田勢にまかせておけば

なんとかしてくれるだろう

とでも考えていたのでしょうか?


<つづく>