<歴史好き 織田信長 18のつづき>


朝倉義景は1533年、越前国の守護・

朝倉孝景の嫡男として生まれました。


幼名は長夜叉とされますが記録が少なく
詳しいことはわかりません^^;


1548年に父・孝景が死去したため、
15歳で家督を相続し、
朝倉延景と名乗りました。

のちに室町幕府将軍・足利義輝の
偏諱を受けて朝倉義景と改名します。


若年であったため
名将と伝わる朝倉宗滴(教景)
補佐を受けていたとされています。


朝倉氏は父・孝景の代から幕府との間に
親密な関係を築いていました。
義景自身も正室に
管領・細川晴元の娘を迎えるなど
親密な関係を継続したため
歴代の朝倉家当主の中で
最も高い官位を与えられています。


補佐役の宗滴が死去した後
自身で政務、軍務を執るようになるが
良くも悪くも評価されるような
できごとは無かったようです。


周囲に戦国の風雲が立ち込めていた1563年。


朝倉義景は隣国・若狭武田家

内部で発生した叛乱鎮圧のため、
若狭国へ出兵している。
若狭武田氏は義景の母の実家にあたり
親密な間柄だったのでしょう。


さらに北に隣接する加賀国の一向一揆衆へ
朝倉景鏡と景隆を差し向けています。
※朝倉義景は一向一揆に
 悩まされた大名の一人です。


1565年に将軍・足利義輝が殺害されると
義輝の弟・義昭(当時は義秋)は
若狭武田氏の元へ逃げ込んだが
武田氏には既に力が無く
その親戚筋にあたる朝倉家を頼ってきたため
義景は義昭を歓迎しました。


<つづく>