今日、想田和弘監督の『精神』という映画を観てきた。


出演している患者さんが強く感じて、援助者として働いている私はこんなに強く生きられているだろうか?と自分に自信がなくなっていた。


障害者側も自分で偏見という名のカーテンを引いてしまっている。それはこれ以上傷つきたくないからかもしれない。皆にわかってもらいたい、知ってもらいたいけど、傷ついてまでは・・・と。私だったらそうして折り合いをつけてそうだ。


当事者の苦しみはどんなに近づいても同じようにわかることはできない。当事者の家族の苦しみもどんなに近づいても同じようにわかることはできない。だから安易に「わかるよ」とは言えない。そんな安っぽい言葉なんて何のひやかしにもならない。

じゃあどうすればいいのか?山本Dr曰く、正しいことを言っている時は、私と同じだと言うことを示し、間違ったことを言っていても「そういう考え方もあるんだね」と理解してあげればいいと。でも、これが口で言うよりも難しいのではなかろうか?思わず、自分の物差しに当てはめようとしていないだろうか?そうするから、そこでイライラしたりしてこじれていくのではなかろうか?


便利さ、豊かさ、スピードの速さ、コミュニケーション能力の高さを求めすぎて、生きにくい世の中にしていないだろうか?それって果たして豊かか?と疑問符だらけになりそうだ。


憂う人と書いて優しい。優しい人が心を痛めていく。そんな世の中で本当にいいのだろうか?


カーテンと言う名の偏見を少しずつでも取っていきたい。諦めず、見つめていきたい。


明日からこの気持ちで仕事に励もう!!と鼓舞された1日でした。

精神科で勤めて6年が経とうとしている。


ここ最近、この仕事を続けていくべきかどうか悩んでいるしょぼん

果たして向いているのだろうか?叫び


元々同職種の人が少ないために、仕事においても全体的に黙認されている部分がある。


それ故に、楽をしようと思えばいくらでも楽ができる。そんなんでいいのか?と自問自答する毎日。



ここに居座るつもりはないが、辞める勇気がないのも本音。


楽と言えば楽なのであるから、なかなかこの“ぬるま湯”から抜け出す勇気がない。うわーん


どうすればよいのだろうか?果たして私はどうしたいのだろうか?



唯一わかっているのは、今のこの何も進歩をしない状態で働き続けるほど、まだまだ割り切れない。


辞めるとなると、次を決めてからの方がいいのだろうけど、その次を探しもしていない。



改めて基礎から学ぶ必要があるのだろうな・・・ひとりよがりな相談支援は危険だろうな、と感じてはいる。


だが、そんなに勉強も好きでなかった私が、この職に就き、本当に続けていけるのか自信がなくなってきている。



興味があるということで突き進んだ道だが、実際仕事をしてみると、現実はそんなに容易いものではなかった。


日々の業務に終われ、これでいいのかと疑問を抱きながらも立ち止まることができなかった。


自分のなりたい将来像って描けていない気がする。こんな状態で適切な支援はできるのだろうか?



中で教えてもらえないのならば、外で教わればよかったんだと今更ながらに思う。


6年経っていても、1から教えてくださいと頭を下げれば教えてくれるのかな?それも疑問。


今更ながらに何を言っているの?って足蹴にされないかと不安にさえ思う。



それ故に、学びたい気持ちはあるけど、


こういった場合は知っている人(仕事を通じての関係者)より知らない人に教わる方がいいのだろうか?



こんな気持ちになった方とかおられたら、色々おしえてほしいです・・・。