今日、想田和弘監督の『精神』という映画を観てきた。
出演している患者さんが強く感じて、援助者として働いている私はこんなに強く生きられているだろうか?と自分に自信がなくなっていた。
障害者側も自分で偏見という名のカーテンを引いてしまっている。それはこれ以上傷つきたくないからかもしれない。皆にわかってもらいたい、知ってもらいたいけど、傷ついてまでは・・・と。私だったらそうして折り合いをつけてそうだ。
当事者の苦しみはどんなに近づいても同じようにわかることはできない。当事者の家族の苦しみもどんなに近づいても同じようにわかることはできない。だから安易に「わかるよ」とは言えない。そんな安っぽい言葉なんて何のひやかしにもならない。
じゃあどうすればいいのか?山本Dr曰く、正しいことを言っている時は、私と同じだと言うことを示し、間違ったことを言っていても「そういう考え方もあるんだね」と理解してあげればいいと。でも、これが口で言うよりも難しいのではなかろうか?思わず、自分の物差しに当てはめようとしていないだろうか?そうするから、そこでイライラしたりしてこじれていくのではなかろうか?
便利さ、豊かさ、スピードの速さ、コミュニケーション能力の高さを求めすぎて、生きにくい世の中にしていないだろうか?それって果たして豊かか?と疑問符だらけになりそうだ。
憂う人と書いて優しい。優しい人が心を痛めていく。そんな世の中で本当にいいのだろうか?
カーテンと言う名の偏見を少しずつでも取っていきたい。諦めず、見つめていきたい。
明日からこの気持ちで仕事に励もう!!と鼓舞された1日でした。
