釧路在住の義母は

結婚せずずっと実家にいる義弟と二人で暮らしています

1年半前に腰が痛いと言いだし近所の整形外科へ

黒い影が見つかり直ぐに大きな病院へ

肺癌が見つかり脳と肝臓、腰骨に転移していました

そのままにしていれば半年

投薬すればあと1~2年と言われました

抗がん剤ではない新薬のイレッサが良く効いて肺は綺麗になりました

今年の連休に行った時には一緒に元気にカラオケも歌い、回転寿司では何皿も一緒に食べて食欲も出てきたので安心していました

その義母から昨日、TELがきました

検査結果が出て、肺は綺麗だけど肝臓がかなり悪くなっていると…

あと2~3ヶ月と言われたと

来週までにそれまでどうしたいか考えてきてと言われたと

来週、病院に一緒に行って欲しいから来てくれないかとのTELでした

お昼頃に義母の携帯からのTELだったので、病院の待合室からかけてきたのだと思います

1年半前、病名と余命を初めて宣告された時にも同じでした

何かあった時にまず誰よりも先にれんれんにTELしてきます

決して優しい義母ではなく我が強くて人に厳しくて文句の多い怖いお姑さん…そんな義母です

実の息子の主人でさえ、我が強過ぎる母親をもて余して必要以上に寄り付きません
(まして単身赴任してからは一人で実家に行くことは皆無です)

義母は
病気がわかってから来てもらうようになったヘルパーさんも後ろから絶えず見張っておりアセアセ

自分のやり方と違うことをすると注意したり指導するものですからヘルパーさんがすぐに代わってしまうそうです

私にも電話でいつもヘルパーさんが何も出来ないとかやり方がおかしいとかそんな文句ばかりなのです

全てにおいて義母独自のやり方が多くそれが義母にとっては普通なので、人のやり方を「普通はこうでしょ!」と否定するのです

普通は~なんて言われると自分が何も出来ない人だと烙印を押されたみたいでドーンと落ち込みます。ヘルパーさんも大変だろうな…と同情しました

5月に行った時にも義母は台所で作業するれんれんの真後ろで椅子に座って、れんれんもかなり指導されましたがアセアセ

今に始まったことではないし、腹がないのはわかっているので気にしないようにしています。

でも初めてのヘルパーさんはいきなりのダメ出しに冷や汗でしょう…やりにくくて仕方ないと思いますガーン

もっと来て欲しいと言っても人手がないと言われているとか…(本当は皆にあの家には行けないと言われているような気がします)ぼけー


「このお宅ではとてもお嫁さん、一緒に暮らせないねあせる」と皮肉を言われたりしたそう

そんなひと癖もふた癖もある姑と30年以上、嫁としてお付き合いをしてきて

家事や育児のことも細部に至るまで口を出されてきたし、理不尽なことも沢山言われて

嫁なんだから、自分の実家にはあまり行くなとか、友達を信じて家に呼んでいたらお金貸せとか言われるからあまり呼ぶなとか

れんれんの声が小さい!!と結婚した時から怒られ続けて
声が大きい自分は生命力があるんだ!と自負していた強い義母

主人が転勤族なので釧路を出て今に至るのですが

長男なのに離れているなんて!!よその家はみんな子供と孫が近くにいるのに!と毎回責められて

家のことをするのが女の仕事だと言う義母に

れんれんの仕事もなかなか理解してはもらえず

たまたま仕事で9時過ぎまで帰宅出来ない日に自宅にTELがきてたりすると大変でした

すぐに携帯にかかってきて

「あんた、いまどこにいるのムキー?!こんな遅くにムキー」と怒られたことも何度もあります

仕事だと言うと、もっと言われてしまいます

釧路・札幌と離れているけれど、絶えず監視されている感じで

悲しくなるようなことも沢山言われて、腹が立ったり泣いたこともたくさんありました

価値観が違い過ぎてどうしても相容れなくて
いつもこわごわと接してきた義母でした

そんな義母に少しずつ自分の考えも言えるようになってきたのは

やはり今のお仕事のおかげだと思います

いろいろな年代のお客様と接して

いろいろな価値観があること

その人その人のこだわりがあって

人は簡単には変えられないということ

人を変えるのではなく自分の受け止め方を変えればいいということ

同じように強いお姑さんに苦労している方から励まされることもありました

そして若い頃は分からなかったけれど

義母は正直過ぎてズケズケと物を言うけど腹はない人なので、こちらも正直に返せばいいということがわかってきて

義母とだんだん、普通にやり取り出来るようになってきました

義父が病気になった時も危篤の時も息子より先にれんれんの携帯のベルが鳴ります

娘がいない義母にとって、唯一すぐに連絡しやすいのがれんれんなのでしょう

嫁なので、実家のことをしてもらうのは当たり前!お客さんではないよ!

といつも言っていた義母が

5月に行った時には「ありがとう、やっぱり女の人がいてくれると助かるわ」と初めて言ってくれました

今でも声が大きくて厳しいのは変わらない義母

とてもあとわずかしか生きられないなんて信じられません

自称声が大きくて生命力がある!はずの義母なのに…

家のことを完璧にこなしてきた義母にとって、家は自宅であり生涯の職場だと思います

出来るだけ家にいたいようですが

最後は痛みや苦痛のないように緩和ケアも必要になってくると思います

その都度、どうしたら一番良いのかみんなで考えていかなければなりません

取り急ぎ今週末に釧路に行って、病院の先生とも相談してきます

しばらく釧路と行ったり来たりになります



れんちゃん…

もしも愛犬れんがまだ生きていて、れんも同時に体調が悪くなっていたら

そんなれんちゃんを置いて行かなければいけないのはあまりにも辛かったよ…

もしかしたらこんなことがあるのがわかっていて
先に虹の橋に行ったの?

神様のなさるわざは時にかなって美しい(聖書)

全ての出来事には時があり意味がある

れんちゃんを失うという辛い出来事にもきっと意味があったのでしょう

義母のことも神様に委ねます

そして今の自分に出来ることをするしかありません


これからはいつも一緒だから安心してね