④のつづきです。



自分のことが大嫌いで
親にも愛されない自分は
生きている価値がない。



私が死んでも誰も悲しまない




その事実は
泣いても泣いてもなかなか受け止められませんでした。




『死にたい』が
思い癖、言い癖になって
数え切れないほど願っているのに



それでも実行に移せない自分に心底絶望した日



包丁を手に
座りました。



まず始めに
手首に包丁を付けてみます。



。。。。。。。



思い切り包丁を引くことができません。






次に首に付けてみます。




*この間何十分も何時間もかかっています。





やはり死ねません。





最後にお腹に包丁の刃を突き付けました。



『死にたい!!!』


はずなのに。。。。
最後の勇気が
出ないのです、、、、、




死ねない自分に改めて絶望します。



この苦しみから逃れるには
死ぬしかないことが分かっているのに
死ねないんです。






その苦しみったら。。。




涙ってどこまで出続けるんだろうって
いうくらい泣き続け


何時間経ったのか


ふと気がつくと涙も止まり
夕方になっていました。





少し冷静です。




『どうして私は死ねないんだろう?』


頭に疑問が浮かびました。




私をギリギリのところで生かすものが在る。




99%死にたいのに

残りの1%がそれを止めている


その1%は何なんだだ?!





。。。。。。。







感情も涙も出し切って
心が空っぽの私の目の前に


ビジョンが見えました。



小学校3、4年の時の自分です。




生きることが楽しかった日々
みんなから愛され
家族も幸せで
やりたいことを思いきり表現していたあの頃






そうか。。!!!





再び涙が止まらなくなりました。






今の死にたい程ダメな自分も自分だけど
あの時の生き生きと輝いていた自分も
同じ自分なんだ







──────────────


大きな気づきでした。










私の中にある
たった1%の生きる希望


それが
『死にたい!』と思う度に
『生きたい!』と叫んで


私を止めてくれていたのかもしれない。。。


そう感じました。






小学校3、4年の時の自分がいる限り
『私は死ねない』




生きていくしかない。。。







その事実は大きな絶望でもありました。










そして19才の春
両親から離れることを決意します。



つづく