「池永トリミング(前)」( 2022年12月22日ブログより )
わたしはかつて日本画の池永康晟(いけながやすなり)さんから、
絵画における〈鼻の穴〉問題…というのを聞きました。
面白いですよね、そんな視点でわたしはこれまで…いわゆる「美人画」を見ていませんでしたが、池永さんに言わせると美人画の系譜の中で、近代になると女性の〈鼻の穴〉が描かれなくなった…みたいな話をされていました。
つまり、それは「美人画」において〈鼻の穴〉が【ある/無い】とでどうちがうのか…、〈鼻の穴〉の出現によって、何が変わった…池永さんからの問題提起なのですが、それと同じく、最近わたしが考えているものにスポーツにおける〈観客席〉問題というのがあります。
それは ―― 「美人画」において〈鼻の穴〉が【ある/無い】とでどうちがうのか…と同様に、「スポーツ」において〈観客席〉が【ある/無い】とでどうちがうのか&何がどう変わって来たのか…という問いなのですが、まだ考えている途中でもあり、以下に、わたしのツブヤキを箇条書きで並べてみます。
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(中高生のみなさんは…【1】→【2】→【3】…と読んでいく時に、指さしながら「【1】は賛成、【2】も…まぁ賛成、【3】は反対…」というように、個別に「賛成か/反対か」を考えながら読むとオモシロいと思います)
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【1】 まず、世の中にはどうしても〈観客席〉が無いと困るものがあります。たとえば…「落語」、 あるいは…「マジック」。こういうものは「ひとり落語」とか「ひとりマジック」は成り立たないわけです。
【2】 逆に、〈観客席〉など要らないものがあります。たとえば…八百屋さん。
八百屋さんの店舗わきに〈観客席〉が用意されているって変ですよね?
外科室(病院の手術室)に〈観客席〉が設けられていて、手術のたびにチケットが売り出されるというのも…変です。
【3】 でも、臨時で八百屋さんの店先に“観客席”が作られることがあります。 それは小学校などでおこなわれる「町探検」のイベントがそれで、町探検をする小学生は、いわば“観客”として、八百屋さんでの商品の売り買い等を(観客として)見て「楽しむ」のです。
【4】 同様に…「病院の手術」では医者と患者がいて、「学校の授業」では教師と生徒がいて、学校の授業にはふつうは“観客席”は無いのですが、八百屋さんの“授業参観(=町探検)”で観客になる人(小学生)がいるように、学校の授業でも「授業参観」という形で観客(保護者)が訪れることがあります。
【5】 このように、わたしたち社会生活の中では、もともと〈観客席〉はそんなに多くなかったのです、けれども、貨幣経済の発達とともに(どういうわけだか…)〈観客席〉が増えてきました。
その理由は、貨幣経済の下で、何でも…あらゆる機会に、あらゆるものを対象に「それでお金儲けができないか」という視点で、ものごとが考えられるようになったからです(注)。
(注)「CO2排出取引権」等もそういう視点から考えられたのではないかと、わたしは想像しています。
【6】 スポーツも、「それでお金儲けができないか」と、だれかが(はじめに)考えたのです。
スポーツってそもそも【するもの】ですよね? 「熱帯魚」などとちがって【見て楽しむもの】ではありません。野原で子どもたちが 草野球を楽しんでいる、そこにいるのはプレイヤーだけでどこにも観客はいないのです スポーツを【する】人同士が、そのスポーツにワクワクしながら(スポーツを)楽しんでいるのです
【7】 でも、どこかで…「落語を聞く」「マジックを見る」のと同じように、「スポーツだって見世物になるんじゃないか」と考えた人がいるのです。どこかに。
そして…「そのアイディアをいいじゃないか」、「競技場だって【する場所】ではなくて、むしろ【見る場所】にしてしまえば、お金をどんどん儲けられるぞ!」という具合に、「スポーツを通じて、お金儲けをしよう」という視点で〈観客席〉が作られるようになりました(注)。
(注)〈観客席〉は、いまや「ネット中継」等により、競技場の中だけではなく、世界すべての視聴者の家にまで拡大しつつあります。
【8】 でも、その【スポーツを見る】という楽しみ方は、本来の「スポーツのあり方」とはちがうのです。
スポーツというのは自分が取り組み、自分が汗を流し、それで爽快感を感じるアクティビティーなのです 。
八百屋の店主(売り手)と買い物客
教室での教師と児童生徒、あるいは…
寿司店主と寿司を食べに来た客
「八百屋の店先」でも「学校の教室」でもそうですし、「寿司店」でも、寿司の握り手(店主)と食べ手(客)とのやり取りを(わきから)見て、ワクワクする人が店内にはいないのです(むしろ、いたら変ですよね…?)
寿司というのは、あくまでも【自分で味わう】から楽しい(=美味しい)のであって、同じく、本来は…スポーツだって【自分でする】から楽しいはずなのです。
ところが ―― そこに、妙な〈観客席〉というモノが入り込んで、スポーツが変容して来ているように、わたしは思います。
【9】 「スポーツをする」というのが「スポーツの楽しみ」だったはずなのに、勝敗をつける、順位をつける…といったことに主眼がいくうちに「1位に価値がある」 「6位では価値がない」みたいにその数字(順位) に対して、競技者自身が一喜一憂するようになってしまいました(注)。
(注)プロ競技ではなく、中学高校の部活動でさえ、数字(順位)が重視され、中高生も、監督やコーチの顔色をうかがいながら、部活動に追い立てられているありさまです。それは、好ましいことではありません…、スポーツ本来の(のぞましい)あり方は、…そうです、みんなでやる「温泉卓球」(民宿などのロビーにある卓球台で、みんなで風呂上りに卓球をする)ではないでしょうか。
また、もともとのスポーツは、肌の色や性別、国籍を超えて楽しめるはずのものでしたが、「お金儲け」をしたい人たちからすると、「国別対抗」にして、各チームを競わせたほうが、集客(=利益)もちがって来るので、「国籍を超えて」「勝ち負け」を超えて、みんなが「スポーツをすることを楽しむ」ようになると都合が悪いのです。
【10】つまり、「スポーツが見世物になる」ことによって、競技者はスポーツ本来の楽しみを忘れて、成績(や賞金)に追い立てられるようになったと言えます。
これが〈観客席〉を作ったことによる大きな弊害です(注)。
(注)もちろん、衛星放送で「オリンピック」を生放送で「見て楽しむ」ことが出来るようになり、人々に娯楽の幅が増えた…という主張も、もちろんあるでしょう。
【11】 スポーツの本来のあり方からすれば〈観客席〉は無い方がいいのです。
例えば1000人の人がいて、その1000人がひとにぎりのプレイヤーの競技を〈観客席〉から見守り、声援を送り、楽しいひと時を過ごすということではなく、1000人の人がそれぞれ テニスやサッカーやバスケットや ゲートボールやバドミントンや 羽子板、蹴鞠(けまり)など、自分に合ったスポーツ競技に夢中になり、だれかが「ねえねえ…100m走を見に行こうよ」って誘っても「なんで…他人がスポーツしてるところ(⇒寿司を食べてるところ)を見なくちゃいけないんだ?」「オレは自分で好きなスポーツをやっている方が楽しいんだ、ほっといてくれ」と返されるほうが、もしかしたら…望ましいことかもしれません。
あれ…?
これが…つまり、あの岡本太郎さんの言う考え方かもしれませんね。
「あるペアが大逆転で、金メダルを獲得する、騒然とする観客。拍手、涙、感動――。
でも、ちょっと待ってくれ。あなたは、目の前の金メダリストの演技に喜んでいるが、その金メダルと、あなた自身の生き方は1ミリも関係が無い。あなたが、競技者に熱い声援を送れば送るほど、そのあとの虚しさは深くなる。 (中略)
『人生』というフィールドで、あなたもひとりの競技者なのだから、あなたは観客席に座って『他人のプレイ』に声援を送ったり拍手をしたりするだけではなく、あなたはあなた自身を励まし、そしてあなた自身に拍手をしなくてはいけない…」
( 2026年2月17日ブログより )
そう考えていくと、〈観客席〉の問題というのは、太郎さんの主張(=問題意識)にも通じることがわかって、わたしはちょっと楽しくなります。
同時に、どの人も「見て楽しむ」よりも、むしろ「して楽しむ」ことが出来るようになることで、スポーツをする側も、いまほど…視聴率や売り上げ、観客動員数…などの数字(順位etc)に一喜一憂しなくて済むようになりますし、一人ひとりが「プレイヤー」になれば、国民全体が健康になるでしょうし…もしかしたら、いいことずくめではないか…と、わたしはひそかに思うのです(注)。
(注)オリンピックスタジアムを造る巨額の予算で、各都道府県に、だれもが楽しめるスポーツ施設(24時間営業!)をもっと&もっと(国家予算で)造る。
今日は「絵画における〈鼻の穴〉 問題」から発展して「スポーツにおける〈観客席〉問題」をみなさんと一緒に考えてみました。
巨大な「オリンピックスタジアム」を作って国家の威信を示すか、国民一人ひとりのために都道府県ごとにだれもが楽しめるスポーツ施設を造るか…、こんなところにも2026年1月7日ブログ(下記リンク参照)でわたしが取り上げた 【国家】VS【個人】の対立が見て取れて、わたしはこの問題…とっても興味深く感じます。
わたしの考え、変でしょうか![]()
( 続 く )
(2026年1月7日ブログ)
↑まだ読んでいない人は、まずはこちらのブログ、ぜひ読んでみて下さい。









