
「プーチン宮殿」の空撮映像について伝える テレ東ニュース
プーチン政権下で「反プーチン」勢力のリーダー的存在であったアレクセイ・ナリヌワイ(1974~2024)さんたちが「プーチン宮殿」を空撮した動画を以前見たことがあります。
その敷地は、「山手線の内側より広い」と説明されていましたが、「なんて狭いの?」と思ったのは、わたしだけでしょうか。



わたしは、もっと&もっと広大な敷地で遊興三昧(ゆうきょうざんまい)だったおじいちゃんを知っています。
その人の名は ―― 裕仁(ひろひと:1901~1989)おじいちゃん。
この人は、…いわゆる「昭和天皇」として知られていますが…、次の事実を…書いちゃっていいんでしょうか
書いたら最後…、芸能界を干される…とか、暗殺される…とか、ないですよね
だいじょうぶですよね…
書いちゃいますよ…(ドキドキ)。
そう言えば、かつて北村小夜さんの話を聞いた時に、日清(1894~1895)&日露(1904~1905)戦争以降…「日本は戦争をするたびに領土を広げていった」ということを教えてもらいました。裕仁おじいちゃんて、もしかしたら、今のプーチンとは比べものにならないほどの「領土欲」を持っていたのかもしれません。そして、その「領土欲」を、軍部やファイナンシャルプランナーたちが、うまく利用した…? ( 2017年2月9日ブログより )
「昭和天皇」として知られる裕仁おじいちゃんは、何を隠そう…プーチンなんかとは比べ物にならないほどの、大地主であり、そして、大株主だったのです(注)。
(注)学術論文だったら具体的なデータをあげるべきですが、これは…単なる「ゴキブリ女子」のブログなので、データはみなさんで調べてください。
だから、さきの戦争について、
「大東亜共栄圏」を目ざす“聖戦”だとか、
欧米の列強からアジア諸国を解放した…とか、
…まぁ、よくもそんないい加減なことをと思うほど、滅茶苦茶なことを言う人がいますが(注)、もしかしたら、ほんとうの動機は、裕仁おじいちゃんの「領土欲しい大戦争」だった可能性もあります。 

(注)「敗戦後にアジア諸国が独立した」というのは結果論であって、日本は開戦の当初から東南アジア諸国を西洋の植民地政策から解放しよう等と(正義の味方的なことは)考えてはいませんでした。そうではなく、欧米列強の「植民地主義」を見て…「そうか、そうか…ああやってアジアの国々をオレたちも支配すればいいのだな…」と、黄色いチンパンくんたちは考えたのでした。
建てられたのは1896(明治29)年、その後、1909年、1922年、1924年と増改築をして現在の姿になっています。ちなみに…裕仁おじいちゃんは1901年生まれですから、ここの施設は思う存分使っていたと推察されます。建物は「木造平屋建」で…何と、480平方メートルです♪ワンルームマンションが「20平方メートル弱」ですから、ざっと「ワンルームマンション」20戸分…。←変な比べ方 


どうしてお正月早々に、そんなことを考えたかと言うと…お正月早々、裕仁おじいちゃんの「遊び部屋(プレイルーム/お遊戯の部屋)」を都内で見つけてしまったからです。←「別荘」みたいに「泊まる」ことは考えられていない…、単なる「立ち寄り所」?

写真右は、皇族女性用の浴室の天井…。天井も高くて…ウットリ。
こちらは、裕仁おじいさん専用の浴室。つまり、天皇の奥さんはここには入ら(れ)ない…、臣下のおじさんたちも、天皇が入ったあとに「残り湯でけっこうですから、お風呂に入らせてもらえませんか」なんて言えませんでした。しかも、この当時から、浴槽 広々…、足を伸ばして入れます。
特に、わたしがおどろいたのは、浴室がいくつもあるのです。←これにはホントびっくりしました。皇族女子用、臣下用、召し使い用…みたいな感じで、4つぐらいありました…。
いまの「成り金」さんたちの「ルームツアー」もたしかにスゴいです…、玄関ホールっていうのですか…もうそこだけで、わたしの住まいより広かったり、30畳ぐらいのリビングが映し出されると、わたしみたいなボンビーガールは、「夏のエアコン代」はいくらだ…って、もうそれを考えるだけで、そういう住まいには住めないと思うのですが、「遊び部屋」に、浴室が4つも5つもある…ってドウイウコトなんだって思いますよね…。
廊下も小部屋もゴージャスなのですが…、浴室と並んでびっくりしたのは…「食堂」です(写真下)。食堂は1921~22年に作られたとか。時に裕仁おじいちゃん(←まだ青年ですね、訂正)、20歳です。
ちなみに、敗戦の時、裕仁さんは44歳、いまの櫻井翔(1982年生まれ)くんと同い年ですね…。
こちらの施設…、ふだん天皇さんが生活している場所ではありませんから。都内の…いわゆる「ご休憩所」です。だから、そんなに年がら年中来ていたわけでもなさそうです。わたしも、これぐらいのところで、友だち呼んで、ババ抜きとか、百人一首(かるた)とかして、年越ししたいです。

天皇さんの…“別荘”として、いまも那須御用邸、葉山御用邸、須崎御用邸がありますが、かつては、横浜、神戸、熱海、伊香保、日光、沼津、宮ノ下(箱根)、高輪南町(東京都港区)、鎌倉、静岡、小田原…などに御用邸(=別荘)があったらしいですよ…。
う~ん…、まぁ、世界でも有数の大地主&大株主…という点からすれば、わたしから文句を言えたすじあいではないかもしれませんが…、ちょっと「別荘」を持ち過ぎではないでしょうか…。どうしても「別荘」を持っていたいというのなら、「別荘」に泊まらない期間(遊ばせておくのはもったいないですから…)、抽選で「国民宿舎」として、わたしたち「主権者」にも利用させてもらえないでしょうか。

だって…これは前々からわたしが言っていることですが、戦争が終わって、わたしたちの国は「天皇主権」⇒「国民主権」に変わったのです、だから、かつて…裕仁おじいちゃんの地位(や暮らし向き)を、敗戦後…わたしたちは引き継いだはずなのです。
…と言うことは、天皇さんが遊びに使っていた別荘の類いだって、皇族さんたちとわたしたちとでシェアしたってよくないでしょうか?
↑これぞ、ほんとうの「シェアハウス」…なんちゃって~。

(以上、2枚、2025年12月19日〔金〕、都内にて)
こういうふうに…天皇さんのふだんはあまり意識しないウラの側面を見ると、な~んだ…そうすると、裕仁おじいちゃんて…、その根っこの部分は、旧統一教会の韓鶴子(ハンハクチャ)さんと似たようなものだったのか…なんて、妙な納得をしてしまうのです。
( 続 く )
裕仁おじいちゃんが「原爆投下はやむをえなかった」と
アドリブの質問に答えるシーン(出典:コチラ)
いや~、きょうのブログは(天皇@Loveの人たちから)バッシングを受けるダロ~ナ~。でもね…、特に昭和天皇の場合は、例の「戦争責任」の話、そして、長崎・広島への原爆投下について「やむをえなかった(=仕方なかった)」と発言した話があるので(←わたしはそういう話に、いまさらながら猛烈に怒っている)、いわゆる「天皇@Love」の人たちから、何を言われても平気です。もし、きょうのわたしのブログと同じ字数で「反論を載せろ」と言われたら、喜んで載せますよ…(ふふふ…同じ字数というのが味噌)。
ほんとうは、上の会見も全編を通して見るべきかもしれませんが、たしかに…裕仁おじいさんは「原爆投下は…やむをえなかった」という旨の発言をしています。この同じ会見で、裕仁おじいちゃんは「戦争責任」についても問われ…「『戦争責任』というような言葉のアヤについては、私は文学方面についてはきちんと研究していないので、答えかねます」と返したのでした。
【 予 告 】 全国の中高生向けの宿題…にしたいネタ(↓)
1982年生まれの櫻井翔くん(今年44歳)や、2026年の年明けに生まれた赤ちゃんに、「戦争責任」はあるのか…という問題を、また後日考えます。これはとても大切な問題で…、きょうのブログはその前置きみたいなものです~♪
◆ 甲本ヒロトさんの生き方♪( 2025年10月31日ブログ )