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愛について何も知らない生娘は男の本意のない軽口を愛して、世を渡って傷ついて酒を呑む女は男の寡黙な無口さを愛するのである。
傷ついた現実主義者はやがて目に見える経済的なものを愛し、傷ついた理想主義者はやがて目に見えない宗教的なものを愛するようになる。
自信家の信念を上から目線で諧謔的に嘲笑してやることで、相手が感情を剥き出しにする場合、その自信は彼にとって鼻にかけている、不遜な意識があることの証に過ぎない―つまり真なる自信とは我々人間に怒りを生じさせないのが本物として。
何をしても覆すことができない現状に対して、惰性的に諦めてしまい声を上げないことではなく、改善のための熱く前向きな議論を重ねること―そこで生じる「熱」が、人間の英知や具体性のない精神論では覆すことができないものを覆す力を有するのである。
世間と呼ばれるものは一般的に見て、自分よりも恵まれない者が犯した失態に対してはまだ寛容的な理解を示すものだが、逆に自分よりも遥かに恵まれた者の失態に対しては、酷く狷介になり穏やかな理解を示そうとはしないのである―。このように考えることで、自然と世の中の構造と呼べるものが明確に理解できるようになるのである。
何かにつけて知性が高く自頭の賢い者ほど、感情的に追 い詰められると癇癪を起こしてしまうのは、その者が世の中のあらゆる事象に対して、酷く額面通りの受け取り方をし過ぎている傾向が強く見られるのである。
人と心と心を通わせるやり取りの中で、心が闊達で健康になるよりか逆に摩耗して不健康に擦り減ってしまうのは、意外と不真面目な人間よりか、生真面目な人間によく見られるのである。
職人にとっての狷介な偏屈さが彼の仕事の「矜持」となっている場合、職人としての技術はこの上なく美しく洗練されるのである。
賞賛を快く真に受けることよりも、悪意のない冷やかしを皮肉に受け流すことで、人間にとっての「耳」はますます穏やかで温厚に年増となっていくのである。
齢を重ねるごとに頑是ない子供のように臍を曲げて、権柄づいて口喧しく社会に対して憤る老人は、それまでの人生において「正しい生き方」をして孤独にならざるを得なかった過去があるのを散見されるのである。
生娘にとっての一般的な恋煩いによって瑕疵を帯びた乙女心は、心を専門に扱う杏林ではなく、気立てのいい髪結いの亭主によって治療されるのである。
何かにつけて拙速に事を運びたがる者ほど、解決の糸口が見えない喫緊の課題に対して苦しむのではなく、有り余る残された潤沢なる時の中で、自由の本質を見失ってしまうのである。
冗談めかして悪人のふりをして、上手に周囲から笑いを取れる者よりも、それを疑いもなしに間に受けて、悪人だとして糾弾する心の余裕の無い者の方が、まだ本物の悪人へとなりかねない危険性を孕んでいるのである。
心理的に甘えや依存が抜けきらない者ほど、人を際限なく憎むためには、憎む相手に報復としての鉄槌ではなく偽りのない純潔な愛を捧げることが必要となる。
自分は絶対に正しいとして頑是ない子供のように臍を曲げる時ほど、意外と辛辣な悪態をつく周囲の方がまだ大人びた達観的な視野を有している例が少なくない。
自らの実力に陶酔して高く買い被っている時ほど、意外と周囲からの辛辣な下馬評の方がまだ正鵠を射抜いているケースが少なくない。
人に対する恐怖心と呼べるものは、意外とその者にとって他者と共存する形で、他者に迷惑をかけてはならないという、勤勉で善良な親切心から生まれているケースが少なくない―こういった考え方をその者の優しさとは捉えにくく、どちらかというとその者にとっての悪意のない気の弱さから生じているのである。
あらゆる怨嗟から生じる報復の最大の恐怖とは、報復することで自分自身を見失ってしまうことではなく、自分の心境と全く同じ人間を新しく生み出してしまうことにある。
一般的に人とは自分に自信がない者に限って、他者を敬うという気持ちが希薄である―だからこそ自分を軽蔑する者ほど、逆に不遜な態度で本音を言うことで、その為人が 良い方向へと理解されるケースが多いのである。
一般的に私達個人が重く受け止めて傷ついてしまう他人の言動とは、その他者にとってみれば極めて考えの浅い無責任な部分から生じている例が殆どである―それがために他者から見れば罪の認識が極めて薄いのである。