本日また1つ、チョウ・ユンファと共に年を重ねました。

 午前中は家の用事を済ませた後に外出し、盛りの時期に入りつつある菖蒲をしばし堪能、地下鉄に乗り構内のフードコートで昼食をとりました。再び地下鉄に乗って六本木に行き、御贔屓芸術家の展覧会を鑑賞しました。見学を終えてから、建物内のカフェでいつもより少しリッチなケーキセットで記念撮影、帰りかけに立ち寄った商業施設内でささやかな自分へのご褒美を購入しました。

 

 上記は本日、急遽決定した次第です。事前に考えていた計画?は、不測の事態の発生により幻となりました。

 年齢を重ねるにつれて、このようなことも増えています。

 大きな出来事の一つは、あらためて述べるまでもありません。

 

 本日、東京の浅草では、三社祭が開催されています。自分の誕生日は高い確率で、この祭りが重なります。

 20世紀中の誕生日に一度だけ、父に付き合わされて、この祭りを見に行きました。この年は職場の担当業務が不本意で、人間関係もギクシャクし、節目の年を迎えたことも加わって、ややブルーなバースデイでした。その後も今日流にいえばパワハラとモラハラが続き、プチ鬱のような状態になりました。

 趣味に対する熱意も減退し、とにかく仕事以外の何かに取り組みたくて、偶然得た機会により学生時代は留年の危機感も覚えた中国語に再挑戦することになりました。

 このことを通じてレスリーと出会い、人生に新たな一面が加わりました。

 ようやく得られたと思った大きな支えは突然遠い世界に旅立ち、食事や睡眠など日々の生活にも支障が生じ、やむなく心療内科のドアをたたきました。場所はその頃通院するのに立地がよかった浅草のクリニック、先生も看護師さんも真摯に相談にのってくださり、3度くらいの通院ですみました。診察の際に先生が「三社祭の時は臨時休診になるから」とおっしゃった記憶があります。

 昨日、偶然に浅草に出向く機会がありました。通りには提灯が飾られ、ハッピ姿の地元民をあちこちで見かけましたが、以前との決定的な違いは外国人数の激増、街中では広東語も耳にしました。一向に上向かない景気に円安と、残念ですが日本国の斜陽化を実感する最今です。

 

 人生に不条理や理不尽はつきもの、レスリーとの永別以外でも何度となく、もう生きていかれないかもしれないという絶望感にさいなまれました。

 現在も、公私共に生活は日々、過酷さを増します。

 

 それでもなお、未来への希望を失わず、前進していくことが人間としての使命だとも感じます。

 レスリー、アニタ、美奈子がいない中にあっても、喜び・幸せは間違いなく存在しました。人生に於いて極めて大きな価値のある若さを失った後も、素晴らしい芸術のほか未来に希望を持てる出会いがありました。かつては今生では実現不可能だろうと諦めていた夢の多くが、世の移り変わりにより実現しました。

 現在の最大の人生の支えは、妹の3人の子ども、レスリーが亡くなる前年に生まれた姪は大学4年に、その後に誕生した双子の甥姪は高校3年になりました。自分と妹がその年代の時に味わった経済的な苦労はさせずにすんでいる一方で、コロナ渦により貴重な青春の日々が制約されたのは可哀そうだと思います。

 海外紛争も絶えませんが、彼ら未来ある世代が希望を持てる世界となることを、切望してやみません。

 

  我が家の玄関先の小さな赤薔薇が一斉に開きましたが、自宅と職場のすぐ近くのお宅でも様々な大きさの薔薇が見事に咲き誇っていて、心を明るくしてくれます。

 近所の空き地に住み着いている野良猫と、出勤時に見かける燕の夫婦?に元気を貰いながら、見応えがありそうな展覧会に期待しつつ、日々を乗り切っていくつもりです。

 先日、ささやかですがヘソクリをはたいて、新しい家電を購入、少し家事の負担が軽減されました。

 

 最近は日本には香港に関する良いニュースが残念ながら入ってきません。10余年の歳月がもたらした変貌は想像にかたくなく、若さも体力も減退した今の自分に、かつてのような滞在が出来ないであろうことは間違いありません。それでもやはり、またいつの日か、できれば姪甥と共に、香港を旅してこの町の素晴らしさを直に伝えたいと思います。

 

※追伸

 4月1日に関する直近の記事は、超多忙な中でまとめ、よく見直しもしないままアップし、読み返すと重複内容や誤記が満載の惨憺たるものですが、日々の現実を記すため、またこんな無様な文章でも「いいね!」を下さった方もおられたので、手直ししないことにしました。