◆AC(アダルトチルドレン)とは・・・
機能不全家庭で育ち、幼少時代から親から正当な愛情を受けられず、身体的・精神的・心理的虐待または過保護・過干渉を受けて育ち、その体験が成人になっても心理的外傷として残っている人をいう。
破滅的であったり、完璧主義であったり、対人関係が苦手
であるといった、いくつかの特徴がある。成人後も無意識裏に実生活や人間関係の構築に、深刻な悪影響を及ぼしている。(wikipediaより抜粋)
※)「こどもっぽい性格のまま成人してしまった」という意味では無い。
私は、今回
・職場での人間関係
・彼との関係
で半年以上悩んできましたが
私が高校生の頃からの知人で、カウンセリングを行っている人がいまして
今回、はじめは仕事のことで相談をしに行きました。
だけど、話していくにつれ、彼とのことも仕事も、ある原因が元になっていることに気が付きました。
それはカウンセラーさんの一言
「おとなになれずに、こどものまま来てしまったんだね」と。
自分がACであることを知りました。
少し、私の昔話をしたいと思います。
私は、6歳の頃から母子家庭の一人娘として育ちました。
父と母は、父親の浮気と借金・・・という理由から離婚し
母は、昼はパート、夜は水商売 と働いていました。
母は、自称「放任主義」で私を褒めることもなければ、勉強しろと言うこともなかった。
ただ、成績が良かったりすると母の機嫌は良かった。褒めてもらうために勉強したし、家の手伝いもした。
そうして母は、スナックのバイトが休みの日の夜も、殆ど家に居ず、スナックの客と出かけていた。
働きづめの母は、ストレスの吐き出し口が無かったんだと思う。そのためか、機嫌が悪いときには、学校であった出来事を話しても、返事が無かったり、機嫌の悪い空気に気づかずに話し続けると「うるさい」と言われることもあった。
そうやって、母親の顔色を伺って、良い子でいなきゃと思っていた。
だけど、昔から「わがまま」と言われてきたので、いろんなことを我慢してきた。
中学・高校に入ってからは、母の機嫌を伺う術も身に付いていた。
反抗期は祖母に対して、だった。
高校卒業後の進路も、早く自立して母を助けようと思っていた。、
私は、人とかかわる仕事がしたかった。介護や社会福祉に興味があった。
母は、私に看護学校進学を薦めた。受験には合格して看護学校に入学した。
だけど、きっとここから私の引け目がずーっとあったんじゃないか?ってカウンセラーさんは言いました。
看護、じゃなくても良かったし
病院にも縁がなかったので、看護師って何する人?って感じだったし。
そうしてなんとなく、資格を取るために、必死に、実習もこなしてきたけど
実習単位を落として
そして留年して、母は泣いて
私は、自分の唯一のとりえだと思っていた「コミュニケーション」を実習担当教員に「ダメだ」と否定され
自信をなくして、きっと、自分の存在意義もなくしてしまった。
そんな風にして、その後留年した1年は祖母の家で暮らすことを選び
どうにか実習単位をとり、看護師の資格を取り
だけど、自信はなくしたまま、就職してしまった。。。
そう、私はずーっと
母の顔色を伺って、愛情をもらう。
何か頑張って、そうしたら母に認めてもらえる。勉強だったり色々なことを頑張る原動力だった。
それが、ある時おとなになって
自分で物事を決めたり、といった立場になって
おとな、は怒られる対象ではないのに
私は、「ダメ」と言われると、そういう風にしか捉えられなくて、仕事でもなにもできなくなっていった。
そして、恋愛でも
ずっと、無条件の愛情っていうものが分からなかった。
こうしたら、振り向いてもらえる?もっと好きって言ってもらえる?今の私じゃ駄目なら変わるから・・・
という恋愛ばかりしてきた。(彼女が居たり、既婚だったり)
そんなACの私と
自己愛の強い彼との恋愛。。。
私は、私のままでいいんだ
と思えないまま
むしろ、このままじゃダメという思いが強くなっていった。
そんな恋愛をしていくうちに
ますます私は自信をなくし、仕事も恋愛も、なにもかもうまくいかなくなっていくのでした。
カウンセラーさんの話がなければ
適応障害の原因、彼とのことと仕事のこと、すべての原因は家庭環境やそういったことの影響を受けて育ってきた「自分」にあるということに気が付かなかったと思います。
私は、私でいい。
あなたは、あなたのままでいい。
そういう関係がいいなぁ。
今はそう思います。
ということで、本題に戻って
まだまだ続きます。