全くの余談。


あれは、高校生か高校卒業したくらいの頃の話。


私は、取材のボランティア活動をしていたのですが

その責任者の方たちとご飯を食べに行った時のことだった。

回転寿司だった。

S田さんとS竹さんは居た。S谷さんは居たっけなぁ?


そこで、なんの話だったか

S竹さんが私に言った。

「Mちゃんって、悪い男につかまりそう。

しかも、自分が不幸なことに気づかない」


その言葉、当時はネタとしてブログに書きました。

しかし、約5年の時を経て、その言葉を思いだしてしまった今(笑)

当時のように、笑える状態ではなくなっています。


当時、人並みもしくはそれ以下の経験しかなかった私ですが

当時から、お姉さまは何かを見抜いていたのでしょうか?


・・・こわいこわい。


今、そのお姉さまに再会しても

あれとこれとそれの末のモラ男です、とはとても言えまい。



最初で最後の2人での旅行、に行った時の出来事です。


初めは、楽しい楽しい旅行でした。


「私、何かまた嫌な気分になることしてない?大丈夫?」

いつの間にか怒っていることがないように、確認もしました。


だけど

私が道を迷ったり

少し気にくわないことがあると、乱暴な運転をしたり、無言になる。

他の車に追い抜かれたりすると、むきになる。

「怖いんだけど・・・」「隣に、女の子乗せてるんだよ?」と言っても聞かない。


そして事件は起こりました。

旅館でのこと。

貸切露天風呂に行こうと、私はスーツケースから自分のお風呂道具と下着と、旅館備え付けのバスタオルを2枚(2人で行くので)持ちました。

彼も自分の風呂道具は持って、一緒に露天風呂に行きました。


お風呂上りに彼が「パンツが無い」と言いました。


私は「あれ?忘れてきたの?とりあえず、それ(はいてきたやつ)はいて帰れば?」と呑気に言いました。



彼は、急に不機嫌になり

「自分のパンツは持ってきて、僕のは持ってこないんだね」と怒り始めました。


「同じ鞄に入ってるんだから、普通持ってくるだろう。バスタオルは2人分持ってどうしてパンツは持たない?どうしてそうなるのかがわからない」


バスタオルはホテルの備え付け

風呂道具を手に持っていたから、パンツは自分で用意していると思った

・・・私は理由を言いました。

悪いと思わなかった。


そうして彼は怒鳴り続け

「パンツもアイスも一緒なんだ。全部お前は別々に考えるから分からないんだろ。」と私を責め続けました。

何度も「怒鳴らないでよ」と言いましたが、彼は「怒鳴ってない」と言い通し

「気が効かなくてごめん、パンツはちゃんと持って行くから」と言うと

「気が効かないんじゃない、こんな当たり前のこともできないのか?」「僕に答えを聞いて、僕が答えを教えるってことは、それは命令だから。次からは、やるのが当たり前だから」と・・・。

私はそのうち反論もできずに黙っていました。


そんな大したことじゃない、と思っていたので

その後、私は彼の機嫌を取ろうと、あれこれと話しかけたり

謝ってみたりして、一時的に少しは落ち着きましたが


その後、家に帰るまで

車中は会話もほとんどなく

「どうして怒ってる??」

と聞いたら無視。


私には理由が分からなかった。

まさか、そんな、ほかの人に話したら笑い話で終わるような「パンツ1枚」で

ずーっと怒っていたなんて。



特徴

【怒鳴る】

【いつも自分が優先されるものだと思っている】

【自分がされて嫌なことは永遠に覚えている】

【自分が指摘されると、責任転嫁】



語録

【パンツもアイスも一緒だ】

【僕に答えを聞いて、僕が答えを教えるってことは、それは命令だから。次からは、やるのが当たりだから」




この言葉は、後に何度言われたか分からないほど言われました。

そしてそのたびに、何が悪かったのかを悩み

考えたうえで伝えると「違う!何も分かっていない」


その繰り返しでした。

彼と付き合い始めて

一か月もたたないうちの話です。

「えっ??」と思うようなことで言い争いになっていました。


もう、すべては覚えてないので

印象的だったことだけ書きます。


その一番初めが《アイス事件》でした。



私はアイスが好物で、

毎日仕事帰りに、アイスを買って家に帰る・・・という生活をしていました。

それは、彼が家に泊まった時も同じでした。


彼に「一緒に食べる?」と言ったら

大体は一口とか、いらないって言う日もありました。


何日か経ったある日

いつものように彼に「一緒にアイス食べる?」

と言うと

「あのさ、M(私)は、僕が居る所でしか、僕のことを想ってないよね」

「自分のためのものしか買ってこないよね。僕は?」と言った。



この時の私の頭の中「????」ですよ。

どうしてほしいのか聞くと

「答えは言いたくないから、言わない。それは自分で気づいてほしいことだから」

と、彼なりの理屈を言い、それ以上は言ってもらえず

私は、何が原因だったのか分からないまま、

私の愛情表現が伝わりにくかったのかなぁ・・・とか色々考えるわけです。


私が仕事なので

彼は毎日晩御飯を作り、私の送り迎えまでしてくれていたのです。

こんなに、想ってくれているのに、私は・・・ とまで思いました。


その日のうちに機嫌も直っていたし(実は直っているように見えただけ)

その時は、特に気にも留めていませんでした。



だけど、このことが後々まで彼を怒らせることになるとは思ってもみませんでした。

今考えると、何が嫌で、どうしてほしいかも伝えないで「分かれ」って言う方が無理なんです。



特徴

【最初は優しい】

【自分ルールを正論として通す】


語録

【僕は想われてない】

【答えは言わない。自分で気づいてほしいことだから】




◆AC(アダルトチルドレン)とは・・・


機能不全家庭で育ち、幼少時代から親から正当な愛情を受けられず、身体的・精神的・心理的虐待または過保護・過干渉を受けて育ち、その体験が成人になっても心理的外傷として残っている人をいう。

破滅的であったり、完璧主義であったり、対人関係が苦手
であるといった、いくつかの特徴がある。成人後も無意識裏に実生活や人間関係の構築に、深刻な悪影響を及ぼしている。(wikipediaより抜粋)


※)「こどもっぽい性格のまま成人してしまった」という意味では無い。



私は、今回

・職場での人間関係

・彼との関係

で半年以上悩んできましたが


私が高校生の頃からの知人で、カウンセリングを行っている人がいまして

今回、はじめは仕事のことで相談をしに行きました。

だけど、話していくにつれ、彼とのことも仕事も、ある原因が元になっていることに気が付きました。

それはカウンセラーさんの一言

「おとなになれずに、こどものまま来てしまったんだね」と。

自分がACであることを知りました。


少し、私の昔話をしたいと思います。


私は、6歳の頃から母子家庭の一人娘として育ちました。

父と母は、父親の浮気と借金・・・という理由から離婚し

母は、昼はパート、夜は水商売 と働いていました。

母は、自称「放任主義」で私を褒めることもなければ、勉強しろと言うこともなかった。

ただ、成績が良かったりすると母の機嫌は良かった。褒めてもらうために勉強したし、家の手伝いもした。

そうして母は、スナックのバイトが休みの日の夜も、殆ど家に居ず、スナックの客と出かけていた。

働きづめの母は、ストレスの吐き出し口が無かったんだと思う。そのためか、機嫌が悪いときには、学校であった出来事を話しても、返事が無かったり、機嫌の悪い空気に気づかずに話し続けると「うるさい」と言われることもあった。

そうやって、母親の顔色を伺って、良い子でいなきゃと思っていた。

だけど、昔から「わがまま」と言われてきたので、いろんなことを我慢してきた。


中学・高校に入ってからは、母の機嫌を伺う術も身に付いていた。

反抗期は祖母に対して、だった。


高校卒業後の進路も、早く自立して母を助けようと思っていた。、

私は、人とかかわる仕事がしたかった。介護や社会福祉に興味があった。

母は、私に看護学校進学を薦めた。受験には合格して看護学校に入学した。


だけど、きっとここから私の引け目がずーっとあったんじゃないか?ってカウンセラーさんは言いました。

看護、じゃなくても良かったし

病院にも縁がなかったので、看護師って何する人?って感じだったし。

そうしてなんとなく、資格を取るために、必死に、実習もこなしてきたけど

実習単位を落として

そして留年して、母は泣いて

私は、自分の唯一のとりえだと思っていた「コミュニケーション」を実習担当教員に「ダメだ」と否定され

自信をなくして、きっと、自分の存在意義もなくしてしまった。


そんな風にして、その後留年した1年は祖母の家で暮らすことを選び

どうにか実習単位をとり、看護師の資格を取り

だけど、自信はなくしたまま、就職してしまった。。。


そう、私はずーっと

母の顔色を伺って、愛情をもらう。

何か頑張って、そうしたら母に認めてもらえる。勉強だったり色々なことを頑張る原動力だった。


それが、ある時おとなになって

自分で物事を決めたり、といった立場になって


おとな、は怒られる対象ではないのに

私は、「ダメ」と言われると、そういう風にしか捉えられなくて、仕事でもなにもできなくなっていった。


そして、恋愛でも

ずっと、無条件の愛情っていうものが分からなかった。

こうしたら、振り向いてもらえる?もっと好きって言ってもらえる?今の私じゃ駄目なら変わるから・・・

という恋愛ばかりしてきた。(彼女が居たり、既婚だったり)


そんなACの私と

自己愛の強い彼との恋愛。。。


私は、私のままでいいんだ

と思えないまま

むしろ、このままじゃダメという思いが強くなっていった。


そんな恋愛をしていくうちに

ますます私は自信をなくし、仕事も恋愛も、なにもかもうまくいかなくなっていくのでした。


カウンセラーさんの話がなければ

適応障害の原因、彼とのことと仕事のこと、すべての原因は家庭環境やそういったことの影響を受けて育ってきた「自分」にあるということに気が付かなかったと思います。


私は、私でいい。

あなたは、あなたのままでいい。

そういう関係がいいなぁ。

今はそう思います。


ということで、本題に戻って

まだまだ続きます。


この頃から、私たちはメールをするようになりました。


そしてある時、3人で飲み会をしようという話になり

彼の家に集まったのです。


お邪魔した彼の家は・・・

とりあえず独り暮らしとは思えないほど、生活感がある・けどモデルルームみたいな整った家でして

思わず「…A型?」 と聞いてしまった。

※)このときは、まだ笑い話。


そしてお酒も進み

私はワインを空け、記憶がところどころ無いくらいに酔っていました。


酔った私は

「私はダメだ、何にもとりえがない」と言い始め

(そのきっかけは忘れたけれど、当時仕事でも悩み始めてたし、自分のやりたいこととかも無くて、自信がとにかく持てなかった時期でした)


そこに酔っ払った彼が

私に半ば覆いかぶさるようにして

「そんな君のことを好きな僕はどうなる」と

低く低く、声を殺して、私に言ったのでした。

いつもの優しい、穏やかな口調ではなかったので、驚きましたが

その時は嬉しかった。

私は、自分を必要としてくれてる人がいる

今の私でいいって言ってくれる人がいる。

(お互いのことは沢山話をしていたので、今の私を理解してくれてると思った)


次の日、「覚えてない」と、しらっばくれる彼に

半ば強引に、言葉を引き出すようにして

付き合い始めました。

2010年7月のことでした。


しかし、その《口調》はだんだんと増え

形を変えていくなんて、そのときは思ってもみませんでした。



語録

【そんな君のことを好きな僕はどうなる】