記念日 | 「嵐の好き間風」

「嵐の好き間風」

いざいかん!どこまでも!わが王子の温もりを捜して三千里
全国ロケ地巡り/おふざけに溺れる日々を綴るファンニッキ
                     By mo-ppi-ko

今日は相葉ちゃんの入所記念日。あと1分で今日が終わっちゃうけど、敢えて言わせてほしい。

遠くの街に住む私には
 アナタに一番癒される日が 
 顔を綻ばせる理由が アナタだという日があります。
 
ホントにありがとう。 身体には気をつけて いつまでも そのキャラで生き抜いてください
私はアナタのような人間になりたいです(告白)
$「嵐の好き間風」









さっき 翔君のZERO を観ました。 

終戦記念日。

1945年8月15日



たったの66年前のこの日。
ラジオから昭和天皇の終戦詔書の朗読したレコードが流れ、国民に「日本の降伏」の決定が宣言された


日本人では 約310万人の犠牲者を出した第二次世界大戦。
今日、ZEROで村尾さんも言っていたように、当たり前だけれどこの一人一人に 嬉しい事、悲しい事、今の私や皆と同じようにあったはず。好きな歌もあっただろうし、大好きな人、嫌いな人、好きなおかず、苦手な野菜。カワイイ兄弟、愛犬、そんなものが普通にあったはず。

この一人一人を数だけで、「大きな犠牲」という風に表現してしまうと、余りにもイメージしにくいですよね。

私には 国立の あの7万人の風景が浮かびました。

(私は人間をあんなに沢山見た事がないから、あの国立の風景が視覚的感覚の基準になる)

それの 約44万3千倍 もの人間が犠牲になるなんて。本当にとんでもない事だ。と改めて驚く。


7年前、鹿児島の 知覧特効平和会館 へ訪れた事がありました。

沢山の遺品と遺書、手紙。そして遺影が展示されていました。

訪れる前から抱いていた気持ち
特攻隊として命を落として行った彼らは可哀想。気の毒。なんて無慈悲な事だろう..その人生を思うままに全うできない事が、どれほど悔しかっただろうと。

実際に入館すると 目の前に広がる遺影の壁。どうしても どうしても涙が止まらなくて、嗚咽が止まらない程に一人で泣きながら閲覧してきたのだけれど、

私の隣にどこかの高校生のグループがいて、その子達の会話が聞こえて来た。
自分のおじいちゃんが、この生き残りだという話。

ハッとした。

私にとっては自分から少し遠い話だったけれど、こんな風に、
今、この世界、こんなに若い子でも これほど近くに感じざるを得ない、たった60年前の出来事。

そこから、タオルで涙を何度もぬぐいながら遺書と手紙を丁寧によくよく読んだ。
すると、ここから伝わってくるものは

60数年後の 日本人に「かわいそう」なんて思って欲しいなんて気持ちは きっと きっと なかったんじゃないかなって。
ただ、この国の未来と、自分の大切な人の子孫に至るまで その「幸せ」と「平和」を祈っていた。

彼らにとっての未来は今。
だから、今、こうして平和に生きていられる事、それに感謝してこの国いやいや、そんな大きな枠なんて考えなくていい。もっとシンプルに
きっと、隣のだれか。仲良しの誰かの笑顔の為に生きる。

その「責務」が 私たちにはあるんじゃないかな。

あの場所を離れる時、そんな風に思った事を覚えています。
もう7年も前の あの日の気持ち。ひょんなきっかけで、今日初めて言葉に起こしました。


こんな風にあの時感じた事を私自身も思い出して、また私の明日が少し変わる気がします。


翔君も言っていましたね。
「(特攻隊員の)上原さんが未来に託した希望を私たちの世代もきちんと受け止めなければならないと強く感じました」

空に散って行った彼らが、一体今の日本に生きている私たちには、どんな希望を託したのかな?
どんな未来を思い描いていたかな?

一瞬でも考えてみる事が私たちに出来ることなのかなー。