ピアノの先生ときどき保育士のもぴてぃーです。
昨日は、毎年恒例となっている、そば屋さんでの師匠門下生弾きあい会でした
今回で参加5回目となる私。
曲はモーツァルトのソナタK.331.1楽章
3楽章のトルコ行進曲まで(というか、その曲を)弾きたかったのですが、
1楽章もまともに弾けていないでしょとの師匠のお見たてで、トルコ行進曲は泣く泣くおあずけ…
でもやっぱり師匠の判断は、正しかった❗️
本番、やはり、細部で暗譜できてないところがちらほら…
ごまかしまくりのソナタでした(^^;;
それでも、この場で、一年に一度しかお会いできない、大人の生徒さんたちと
参加5回目ともなると、すっかり顔見知りとなり、
お互いの演奏をたたえあい、
また来年もがんばりましょうなどと、
話も弾むようになって、
とても楽しい時間を過ごしました
まして今回は、以前セミナーで出会った先生がたも、
門下生として、参加されていて、
その卓越した演奏を聴かせていただき、感激やら嬉しいやら
こうやって、ピアノが縁で人との繋がりができること
私にとっては何よりの喜びです
師匠もご自分のリサイタルのときに、たしかそのようなことをお話しされていました。
ご多忙ななか、このような場を毎年、準備してくださる師匠にあらためて感謝
思えばこの師匠との出会いは、運命的でした
実は30ウン年前、高校生になった私は、隣に住む同い年の幼なじみ(音楽一家のご家庭でした)のオーくんと一緒に、
師匠に弟子入り?!しました
オーくんは、師匠のそのまた師匠にピアノを習っていたのですが、(だからめちゃくちゃピアノ上手)
高校生になったときに、大学を首席で卒業された師匠をそのまた師匠から紹介されたようです。(ややこしくてすみません)
たまたま、受験でピアノをやめていた私も、
じゃあ、一緒に習ってみよっかなぁということで、
レッスンしていただくことになりました
大学受験を機に師匠とはお別れし、オーくんも音大ではなく、東京の最難関大学へと進学していきました。
それから、月日は流れ、就職、結婚、10年間の転勤生活…
そうそう、それは、大阪に戻ってきて、
ヤマハの先生について、ヤマハのグレード試験に挑戦してみるものの、
不合格をくりかえし、自分にさっぱり自信がない時期のこと、
新聞に、師匠の小さな顔写真いりで、
リサイタルの告知記事が掲載されており、
「うわー、なつかしい
先生もがんばってはるんやな❗️」
とその存在を数十年ぶりに思い出したのです
で、そのリサイタルに行けば、話は早かったのですが行けず、それは、かなり後悔となりました。
師匠にまたレッスンを受けたい❗️との気持ちがムクムク高まってきたのに、
その連絡先がわからない💧という時期が続きました。2年くらい(・・;)
ネットを検索しても、師匠の演奏動画や、過去のリサイタルについては、わかるのですが、肝心の連絡先がわからない
今ならフェイスブックで簡単にできるのでしょうが、当時の私には不可能で
で、ある日のこと、
パート先からくたびれて帰る地下鉄の中(当時は保育士ではなく事務職)
「」
もしや、あれは、あのお方は?!
おそるおそる近寄り、声をかけたところ
なんとなんと、
探し続けていた師匠だったのですよ〜
いきなり、くたびれオバハンに話しかけられて、師匠もビックリですよね
でもおぼろげながらも、ちゃんと覚えていてくれてました
求めよ、さらば与えられん
という言葉をまさに地でいく、
師匠との出会いでした
堺市北区のピアノ教室