3月11日、もう7年も経つのですね。
「もう」なのか「まだ」なのか
自分でもどちらとも言えないのですが。。
あの日私は病院で高熱の続く家族の病室のTVで
地震の報道と福島の発電所の事故の映像を見ていました。
家族は手術の1週間後から高熱が出て
「感染症」と医師から判断された日でした。
毎日お弁当を作って持っていっても熱で食べられず
次の日には捨てる、を繰り返していたところでした。
私の日本の家族を心配してドイツ人の友人が電話をくれて
とりあえず私の親族はみんな関東にいて無事だろう事、
家族が感染症にかかった事を話した病院の廊下の光景は
TVで見た映像とともに今でも忘れられないです。
病室にいる家族と、未曾有の地震に見舞われた日本と、
これからどうなってしまうのだろうと
とても不安に感じたのを覚えています。
次の年に家族は亡くなり
未だに私の心には大きな傷が残っています。
そしてあの地震でご家族を亡くされた方の
悲しみの大きさを思い
シンパティを持って
心の平安をお祈りいたします。