出世景清 素浄瑠璃公演

 

 

<解説>

渡辺保

 

司会

葛西聖司

 

 

◆阿古屋住処の段

豊竹呂勢大夫、竹澤宗助

 

<休憩>

 

◆観世音身替の段

◆清水寺の段

竹本三輪太夫、鶴澤燕三

 

 

 

近松門左衛門の「出世景清」は、

演劇史に有名な作品なのに、

334年前の初演以来、再演がされずに来ていたかが、

 

研究者の鳥越文蔵氏の執念ともいえる思いがキッカケになり、

昨年、ルネッサながと(山口県)にて、

再演の上演に漕ぎ着けることが叶った。

 

この上演に先立つ解説にあたる、

講演は聴きにいったのだが、残念ながら、

ルネッサながとでの本公演は見逃している。

 

FullSizeR.jpg

 

いかにせん、遠い…

日帰りは絶対に無理!!@@

 

なんで、こんなにも遠い、地の果てで…?

という疑問は、初めに小屋ありき、

ということでそうなったという説明にまあまあ納得したが…

 

同じ山口でも下関あたりなら、

日帰りもできるし、交通も便利だったのに…

と、悔しい。

 

長門は、新幹線でも飛行機でも、

簡単には着かないのだ。

山をいくつか越えて、日本海側へ入らねば辿り着かない。

(実際、公演前日は大雨で、交通機関も乱れ、開催が危ぶまれるほどだったという・・・)

 

しかし、素晴らしい劇場を建てたものだ。

(スライドを見せてもらう)

 

この劇場、地元の税金と収入だけで、

維持できるのか、不安になるが…

 

一通り、作品上演の由来を伺って、

それから、いよいよ作品解説に入る。

 

<登場人物相関図>

 

<あらすじ>

 

今回の上演(人形無し)では、

ルネッサながとでの、人形付きの公演で上演されなかった部分を、

新たに燕三師が作曲されて、上演した。

したがって、会場には前年に見ている方々も多いようだった。

 

お二人の解説を伺い、ざっくりと作品の理解を深めていよいよ開演。

 

「阿古屋住処」は、呂勢太夫・宗助コンビ。

呂勢太夫は、このところますます芸境を深めつつあると思える。

情の表現について素晴らしいものがある。

 

この阿古屋の心情の変化が哀しい現実へと繋がるドラマの序章。

 

景清と阿古屋の恋は、一筋縄ではいかないのだ。

歌舞伎の「壇ノ浦兜軍記」の阿古屋のような、単純な女(歌舞伎阿古屋ファンの方、すみません!!)

ではない。

 

なんといっても、阿古屋は遊女でありながら、景清の子を二人も産んでいるのだ!!

(そんなことが可能なのだろうか・・??^^;)

 

立場的には糟糠の妻。

だが、景清は本妻(小野姫)を持ってしまった。

これを阿古屋に隠そうとする。

「別に、あの女とはそんな仲じゃないよ」と姑息な言い逃れをする。

 

ところが、小野姫からの手紙が来て、それは真っ赤な嘘と分かり、

阿古屋は取り乱す。

そこに付けこむ阿古屋の兄 →悪者。

 

金になるから、源氏方へ訴えようとそそのかす。

いままでは一蹴していた阿古屋も、嫉妬に狂い、訴人することに同意してしまう訳だ。。。

 

阿古屋といえば、歌舞伎の真女形の最高峰の役。

遊女でありながら、美しく賢く、景清への愛と貞節を貫く、

いわば女大学から抜け出たような女・・・というイメージが、

この出世景清の阿古屋で全く変わってしまう。

 

嫉妬深く、浅はかで短慮。

だけど、とっても人間らしい。

一度は夫を裏切るが、激しく後悔してこののち、

子供を道連れに自害することになる。」

 

さて、休憩を挟んで、このあとは景清の物語。

捕まった景清がどうなっていくのか・・・。

 

死刑になるのだが、観音様が身替りになって助かる、

という奇跡が起こる!

 

これは、中世の説教節などでも繰り返しテーマにされてきた、

奇瑞だけれど、

 

ここからが近松の新しさ。

頼朝が、観音の恩恵を受けるくらいの人物だから、

命を助けようと言い出す。

 

これで、すっかり頼朝に感化された景清は、恭順を誓うのだが・・・

今までその命をずっと狙ってきた頼朝を目の当たりにすると、

意に反してまたも斬りつけてしまうのだ。

そして、そのことを後悔して両眼をえぐり取ってしまう。

 

「源氏の世を見たくない」といった単純な理由ではなく、

心の葛藤の末、そういう行動に出る、というところは、

景清像も新しいものだといえる。

 

今回は、「観世音身替りの段」と、「清水寺の段」を、三輪太夫・燕三コンビで。

(この組み合わせは、本公演ではなかなかないと思われる)

 

素晴らしい復曲を成し遂げられた燕三師に拍手!

ぜひとも、本公演にて人形付きの公演をお願いしたい。