夜の部

配役は、例によってチラシにて。

お目当ては、仁左衛門のおそらくは納めになるであろう、勧進帳弁慶。

一日交替で、幸四郎と富樫をテレコで勤めている。

その前に、播磨屋渾身の松王「寺子屋」を堪能。
本当に救いのない物語なのに、
こんなにも愛されているというのは、やはり役者の力。

播磨屋に食らいつくのが、千代の菊之助と源蔵の幸四郎。
同じ舞台を踏むことで伝承されていく歌舞伎という芸能だ。

そして、今回は児太郎が戸浪を勤める。
もう、一生懸命に動くから、動作が腰元めいているけれど、これも経験。今後に期待したい。

福助さん、園生の前で出られてはいるが、
「腰元」児太郎の介錯のもと、立ったままの演技で、やはり、お身体ご回復には至っていないようだった。


さて、「勧進帳」

私は、ほぼ四十年ぶりとなる、
仁左衛門の弁慶。

当時と見た目に遜色ないところがまず驚異的だ。

若かりし頃は、ガリガリに痩せていたので、
肉布団を着けても弁慶の貫禄はまだまだだったが、

今は芸の力で見せる。
そしてもちろん、同じ舞台を踏んでいる、
幸四郎をはじめ後輩たちへ見せるということもあるだろう、
こちらも、播磨屋と同い年。75歳の、渾身の弁慶だ。





ネットなどでは、
跳び六法がゆっくりすぎる、などと騒がれていたが、

そもそも跳び六法は、
若い役者は元気にやるし、老優はゆるりとやっても良いものだと思う。

四十年前には、
現幸四郎のお祖父様の初代白鸚や、その弟で今の松緑のお祖父様の初代松緑の跳び六法を観ているが、

そこまでスピードがあろうはずもなく…
現実の速さを見せるものではなく、芝居としての速さを見せるもの。

ゆったりと引っ込むのも、アリなのだ。
そこは、観る者の想像力で補完していくのが、ハリウッド映画と違う、
日本の伝統芸能の姿だ。

ただただ、
この舞台を観ることができて、心から感謝。


そして、歌六の松浦侯の「松浦の太鼓」。
これは、本当に美しい舞台だった。

江戸の冬は現在よりも寒く、雪の降ることが多かったという。
そんな雪に覆い尽くされた江戸の街の舞台美術が出色だ。

義士銘銘伝、大高源五のエピソード。

赤穂浪士に吉良を討たせたい、というのが、
当時の忠孝や武士道を標榜する人たちの圧倒的な世論だったわけで…

しかし、そんな気振りを見せるわけがない、
浪士の面々。
そこにはドラマティックなエピソードが満載!
と、想像力が刺激されて、たくさんの銘々伝が創られたのだろう。

歌六の殿様がいい。
いつも老け役が多いが、ちょっと若めのこういった役をもっと見てみたい。

お縫の米吉も、今はこうした役ではピカ一。

颯爽とした又五郎の大高源五を観て、
またも昔々、仁左衛門の颯爽たる源五を瞼の裏に思い起こしている。

若い頃、この役はまさにはまり役!と思ったものだった。


今月も、素晴らしい舞台を観ることができて、感謝感謝だ。
(リアルが多忙すぎ、二ヶ月遅れになってしまったが、少しずつ書いていきたいと思います。)