◆新作狂言、猫と月(W.B.イェイツ原作、佐野哲郎訳、松本薫演出)
目の見えない乞食・茂山千五郎
足の悪い乞食・茂山茂
聖者・松本薫
後見・鈴木実
◆新作狂言、ちんちん小袴(ラフカディオ・ハーン原作、作演出茂山千五郎)
男・山下守之
女・島田洋海
後見・鈴木実
<休憩>
◆狂言、石神
男・茂山千作
女房・茂山千五郎
仲人・網谷正美
笛・栗林祐輔 後見・鈴木実
今回の千作千五郎の会は、だいぶ毛色が変わったものになった。
新作狂言が二番も出る。
しかも、二作とも、アイルランドの作家の作品(ハーンは日本人になるけれど)なのは、
昨年のアイルランド公演に向けて作られた新作狂言だからだ。
「猫と月」は、ちょっと普段見慣れた狂言からは、だいぶ離れたものだ。
(一番の違和感は、中途半端な江戸言葉!^^;)
舞台は、どこか外国。
目の見えぬ乞食が、脚の悪い乞食を背負って、
聖者に会うために、はるばると道を聴きながらやってくる。
聖者は、どうして欲しいのか尋ねる。
目の見えぬ乞食は、見えるようにしてくれ、と言い、
脚の悪い乞食は、聖者の勧めに従って、福音を授けてもらい、聖人の列に加えられることを選ぶ。
(そんなに、簡単に聖人になれるのか!?)
目が見えるようになった乞食は、
喜び勇んで去っていき、
福音を得た乞食は、聖者と共に舞を舞う。
不思議なことに、舞っているあいだは、この男の脚も、普通に動くが、
舞が終わり、橋掛りから揚幕に至るまでに、
徐々に元の姿に戻っていく。
なかなか不思議な作品だった。
猫も月も、直接出てこないのに、この題名なのはなぜ?という疑問もある。
そして、大人が大人を背負う、という苦行?を頑張った、千五郎に拍手!
いくら弟の茂が痩せていても、大変だったかと^^;
聖者は、福の神のような出で立ちで、面をつける。その中で、朗々たる謡を聴かせた松本は、素晴らしい。さすがだ。
「ちんちん小袴」は、
三食昼寝付きを謳歌するわわしい妻が、夫の留守に、深夜物音を聞きつけ、訝しく思って見ると、小人達が歌い踊っている。
これを、恐ろしく思い、夫の帰りを待ち、夜中まで寝ずに過ごして、退治するように言う。
長の遠征から戻った夫は、不満に思うが、
逆らえず、深夜まで待ち、くだんの小人たちに出会う。
夫は、これを可愛いと思うのだが、
妻に言われ、退治に掛かるが・・
曲名の、ちんちん小袴とは、小人たちが歌う、謡の一節だ。
鈴木が、二度にわたって聴かせる。
夫の真っ直ぐさにひきかえ、
妻の方は・・ということで、良心の呵責に苛まれることになるのか、妻は。
普通のわわしい女と違って逃げて橋掛りを揚幕へと走る。
この曲は、従来の狂言の言葉で喋っているので、
あまり違和感はない。
小人たちは、いわゆる西洋の精霊のような存在かもしれないが、すんなりと入り込めた。
個人的にはこちらの方が、再再演などに耐える作品かな?とも思える。
最後の「石神」は、千作千五郎の絡みの作品。
ちょっと落語の「厩火事」めく。
離縁を望む妻が、仲人の所へ泣きつきにいく。
仲人は、いま別れるのはいいが、
まだ若いから、また再縁することになろう。
その際、今までより上の男のならいいが、
なかなか持って産まれた運というものは変わらないから、
下の男と添うようなことにもなろう。
ここは、出雲の神の御託宣に従った方が良かろう、と言われて、出雲の神の元へ向かう。
ところが、先に仲人の元を訪れた夫のが先回りして、神になりすまし、
自分に有利になるような(妻が去らない)
神意を示す。
妻は、悲しむが、自分が巫女の末裔なので、
舞を奉納する。
心を込めて舞ううちに、あろうことか、夫も面白くなって、身体が自然に動いて、舞になり、
妻の動きに沿うようになる。
やがて、妻は知ることになり、いつもの通り、やるまいぞ、と夫を追うことになる。
ちょっと変わった狂言会。
それもまた、楽しかった。
