お話し   茂山千三郎

 

◆栗焼

太郎冠者・茂山あきら

主人・茂山茂

 

  <休憩>

 

◆月見座頭

座頭・茂山千三郎

男・丸石やすし

 

 

「横浜狂言堂」には、初めて伺う。

解説の千三郎さんの話が、とても分かりやすくて面白い。

実は、茂山家の解説では千三郎さんが一番好きだ。

 

「栗焼」は、ほとんど一人芝居。

貰った立派な栗をお客に出すから焼くように言いつけられた太郎冠者。

焼いてみるとうまそうだ。一つくらい味見してもよかろう・・。

うまい!もう一つ、もう一つ・・と食べ出したら止まらない。

あっという間にすべてお腹の中へ。

さあ、どんな言い訳する?

なんと、神様が出てきたのでに奉った、という言い訳。

主人はその言い訳に付き合って話を聞くが、さすがにウソがばれる。

 

栗を焼いては食べる、そんな何も使わない芝居が見どころ。

狂言と落語はよく似ている。

 

「月見座頭」は、ちょっとビターな後味だ。

千三郎さんの解説で、座頭の出で、杖を「心」という字を書くようにつく、と聞いて、注目する。

(盲人の)座頭は名月に虫の声を聴きに出てきて、上京あたりの男は、名月をめでて酒を飲もうと出てくる。

この二人が出会って、楽しく酒盛りになるのだが、いったん帰ったとみせて、男は再び現れ、座頭に対してひどい仕打ちをして去っていく。

 

初めて見たとき、なんで上京の男はそんな狼藉を働いたのだろうか、というのが分からなかった。

今回も、その理由には思い当たらないのだが、思うに座頭という存在は、狂言でも落語でも、とかく揶揄される対象になるようだ。

 

座頭は、金貸しとして認められてなかなかにお金を貯めこんだり、人々に借金の催促をきつくしたりして、一般の人たちからは忌み嫌われていた側面があったようだ。

(そういえば、「真景累ケ淵」では、豊志賀のお父つぁんの座頭の宗悦が、貸した金を取りにいった先で殺されてしまうのが発端だ。)

 

現代人には、上京の男の心理は理解の外だけれど、ひょっとしたら、昔々の日本人には、溜飲を下げるような心理があったのかもしれない、と思う。