桂福丸 阿弥陀池
桂吉坊 景清
仲入り
ギター漫談 ペペ桜井
桂吉坊 佐々木裁き
吉坊さんの会はずっと伺っていたのだけれど、このところ二回ほど行かれなかった。久しぶりに聴く吉坊落語。充実した会だった。
福丸さん、「この人、大丈夫か?気分でも悪いのか?」と不安になるような出。うつむいて、とても暗い。ところがである、いったん喋りだしたら、御陽気な、いかにも上方の若手らしい、勢いのある高座だったんでビックリ!
「阿弥陀池」という噺は、こちらの「新聞記事」で、ちなみに私は、数年前に吉坊さんで初めて聴いた。当時紀尾井ホールで開催されていた若手落語家のコンクールで、このときエントリーされていた吉坊さんが掛けたのがこれ。このときは、兄弟子のよね吉さんが優勝という結果だったが、吉坊さんはその兄弟子の掛けた「七段目」のツケ打ちに活躍されていたのを思い出す。
一席目の「景清」は、本当に珍しい。上方のを聴くのは初めて。
京都で、末は日本一とまで嘱望される彫金師の定次郎。俄めくらとなり、医者に見放されたのでこの上は信心に縋るよりほかはないと、柳谷の観音に願掛けに行く。ここで、同じ身の上の女性に会って、観音様の前でいい仲になってしまい、この仏罰か、ご利益もなくすさんでいるところを、近所の甚兵衛さんが奨めて清水の観音様に100日の願掛けに行く。満願の
日になんの変化もなく、散々当たり散らして帰ろうとすると、俄の大雨に落雷。気を失って倒れている所に、観音様が現れ、定次郎の母の子を思う心に免じて、昔奉納された悪七兵衛景清の両眼を貸し与える、との仰せ。両眼が開いた定次郎、自分の眼も、懐に入れて持ち帰らんとするが、観音が「下取りの眼は置いて行け」
上方落語らしいところは、なんといっても、清水さんに願掛けを始めるシーンからお囃子が入る所だ。更に、落雷の太鼓や鉦といった鳴り物もふんだんに入って、盛り上げて行く。
お囃子さんは、上方から連れておいでになったのか、はたまた恩田えりさんだったのか、ご存知の方がおられたら教えていただきたい。いずれにしても、東京の落語にはないことで、演者さんとイキを合わせるのは大変なんだろうなぁ、と興味深かった。
この噺は盲人の定次郎の人物設定が難しいなぁ・・と感じた。複雑な性格だ。仕事もできず、すさんだところから、柳谷でのコミカルな様子。そして清水でご利益を出せとごねまくるやんちゃなところ。時々見せる運命に対する哀しさ、諦めなどなど。
吉坊さん、破綻なく演じられていたのはさすが。もう、「さん付け」は失礼なのだろうけれども、どうしてもその可愛らしい外見から「さん」になってしまうのはお許しいただきたいものだ。
仲入り後、ペペ先生が現れ、大和田伝承ホールが一瞬にして鈴本に変わったかのような錯覚が・・いつものネタから始まって、爆笑のハモニカネタまで。鉄板の可笑しさ。古希だというが、全く衰えを感じない。
トリネタは「佐々木裁き」。四郎吉がいいのは分かり切っていたけれど、佐々木信濃守はじめ周りの大人たちもいい。
信濃守が与力の不正をたしなめるシーンで、某都知事の借金問題に絡めて「あんな汚い領収書、書かんでもええのに」と笑いを取っていた。(この話題、一日前の池袋で一之輔師が、「子供がチ◯ルチョコ借用しました、ってお菓子の借用書を書いて済ませようとする、やめてください、こういうの」と、使っていた。いま最も旬な時事ネタか)
ひさびさに聴いた吉坊さん、また一回り大きくなったようだ。
桂吉坊 景清
仲入り
ギター漫談 ペペ桜井
桂吉坊 佐々木裁き
吉坊さんの会はずっと伺っていたのだけれど、このところ二回ほど行かれなかった。久しぶりに聴く吉坊落語。充実した会だった。
福丸さん、「この人、大丈夫か?気分でも悪いのか?」と不安になるような出。うつむいて、とても暗い。ところがである、いったん喋りだしたら、御陽気な、いかにも上方の若手らしい、勢いのある高座だったんでビックリ!
「阿弥陀池」という噺は、こちらの「新聞記事」で、ちなみに私は、数年前に吉坊さんで初めて聴いた。当時紀尾井ホールで開催されていた若手落語家のコンクールで、このときエントリーされていた吉坊さんが掛けたのがこれ。このときは、兄弟子のよね吉さんが優勝という結果だったが、吉坊さんはその兄弟子の掛けた「七段目」のツケ打ちに活躍されていたのを思い出す。
一席目の「景清」は、本当に珍しい。上方のを聴くのは初めて。
京都で、末は日本一とまで嘱望される彫金師の定次郎。俄めくらとなり、医者に見放されたのでこの上は信心に縋るよりほかはないと、柳谷の観音に願掛けに行く。ここで、同じ身の上の女性に会って、観音様の前でいい仲になってしまい、この仏罰か、ご利益もなくすさんでいるところを、近所の甚兵衛さんが奨めて清水の観音様に100日の願掛けに行く。満願の
日になんの変化もなく、散々当たり散らして帰ろうとすると、俄の大雨に落雷。気を失って倒れている所に、観音様が現れ、定次郎の母の子を思う心に免じて、昔奉納された悪七兵衛景清の両眼を貸し与える、との仰せ。両眼が開いた定次郎、自分の眼も、懐に入れて持ち帰らんとするが、観音が「下取りの眼は置いて行け」
上方落語らしいところは、なんといっても、清水さんに願掛けを始めるシーンからお囃子が入る所だ。更に、落雷の太鼓や鉦といった鳴り物もふんだんに入って、盛り上げて行く。
お囃子さんは、上方から連れておいでになったのか、はたまた恩田えりさんだったのか、ご存知の方がおられたら教えていただきたい。いずれにしても、東京の落語にはないことで、演者さんとイキを合わせるのは大変なんだろうなぁ、と興味深かった。
この噺は盲人の定次郎の人物設定が難しいなぁ・・と感じた。複雑な性格だ。仕事もできず、すさんだところから、柳谷でのコミカルな様子。そして清水でご利益を出せとごねまくるやんちゃなところ。時々見せる運命に対する哀しさ、諦めなどなど。
吉坊さん、破綻なく演じられていたのはさすが。もう、「さん付け」は失礼なのだろうけれども、どうしてもその可愛らしい外見から「さん」になってしまうのはお許しいただきたいものだ。
仲入り後、ペペ先生が現れ、大和田伝承ホールが一瞬にして鈴本に変わったかのような錯覚が・・いつものネタから始まって、爆笑のハモニカネタまで。鉄板の可笑しさ。古希だというが、全く衰えを感じない。
トリネタは「佐々木裁き」。四郎吉がいいのは分かり切っていたけれど、佐々木信濃守はじめ周りの大人たちもいい。
信濃守が与力の不正をたしなめるシーンで、某都知事の借金問題に絡めて「あんな汚い領収書、書かんでもええのに」と笑いを取っていた。(この話題、一日前の池袋で一之輔師が、「子供がチ◯ルチョコ借用しました、ってお菓子の借用書を書いて済ませようとする、やめてください、こういうの」と、使っていた。いま最も旬な時事ネタか)
ひさびさに聴いた吉坊さん、また一回り大きくなったようだ。