立川志の太郎    千早ふる
立川志の吉     天狗裁き
立川志の輔     バールのようなもの
     仲入り
立川志の輔     高瀬舟



ずいぶんご無沙汰の巣鴨四丁目落語会。この日は、故家元の三回忌だそうだ。

まずは、志の輔師の6番弟子志の太郎くん。太郎とは名ばかりで、末っ子弟子のようだが、なかなか達者な「千早ふる」。

続いて、真打昇進が決まったという、一番弟子志の吉さんの「天狗裁き」。大汗掻いての熱演だったが、いろいろと考えさせられた。とにかく、いつも聞き慣れた「天狗裁き」とは全く別もの。
これは、まるでシャワーを浴びるように一年365日休みなく寄席で先輩の落語を聴かされて育った者と、そうでない者との違い。どちらがいい悪いではなく、結果的に全く違った噺家になるわけだ。志の吉さんは、とにかく個性的。江戸時代の話ということを忘れるくらい現代的だ。個性尊重の立川流の面目躍如。ただ、普通の「天狗裁き」を聴き慣れていると、人物の描き分けに不満が残る。八五郎も奉行もあまり変わらないのだ。

師匠に「やかん」を教えて欲しいと願うと、オレの真似をしても仕方ない、お前の「やかん」を作ればいい、と言われたという志の輔師。名作「バールのようなもの」は、何度聴いても可笑しい。これは、次代に引き継がれて、「古典」になっていくのだろうか?どんな古典の名作にも、新作だったころがあったわけだから・・

仲入り後、マクラなしで始まった噺は、京都の高瀬川の罪人舟・・え?これは、森鴎外の高瀬舟なんじゃぁ・・?と思いつつ聴いていたら、「森鴎外作、高瀬舟、読み切りでございました」と降りて行った。ハネてから知り合いに、これは故談志の十八番だった、と聞かされた。そうか、高座で師匠を偲んでいたのか・・と納得。
大爆笑の一席目と打って変わって静かな二席目。死にきれず苦しんでいた弟に頼まれて首に突き立てたカミソリを引き抜いてしまった兄。それがために遠島を申し付けられ、川を辿って大阪までまず送られて行くが、生まれて初めて200文という金子を懐に、淡々と送られて行くその男はお上に感謝すらしていた。どんなに働いても働いてもその日暮らしですらない極貧の生活との別れ。それを見守る小役人の男は、豊かな商家出身で金銭感覚のない妻に不満を募らせていた自分を顧みる。悟り澄ましたかのような罪人の男に心を寄せ、船頭が止めるのも聞かずに、禁を破ってその戒めを解いてやるのだ。
この噺が十八番だったのは、どうしてだろうか?と、自問しながら、いつか談志を偲んでいた自分がいた。