福島県の現状 | 欧州車かく語りき。

福島県の現状

暑い週末が続いた6月だったが、この週末は少し涼しそうな天気予報。
 
年末以来、イチゴ狩りツーリング程度しか出掛けていなかったので、急遽出掛けてみる事に。
 
以前から見ておきたかった福島県は富岡の街を訪れてみようと思い立った。
 
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守谷SAにて友人と待ち合わせ。
AM8時集合にしたが、珍しく自分が一番ノリ。守谷SA下りは目下リフレッシュ工事中で、到着直後は間違えたかと思う程に景観が変わっていた。
 
ほどなく2人が到着。朝食とコーヒーを頂いてから、一路170km先のいわき中央ICへ向かう。
薄曇りの中の走行はひんやりとした風が心地良く、6月中盤にしては少し肌寒さも感じる程だ。
 
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結局いわき四倉ICまで来てしまった。というのも原発事故の影響で通行止めを懸念していたが、なんと今年2月に富岡まで開通していたのだった。
原発復旧工事の関係者が地方から集められいる事もあり、高速道路が通じていないのは不便な事も影響しているのだろう。ただ、本当に大丈夫なのかは不明。
 
いわき四倉ICから国道6号へと移動すると、そこまで少なかった車がドッと増えた。あの大震災から3年と3カ月、復興が進んでおり、もうすっかり元通りになっている様に見えた。
 
今回の目的地は富岡町JR常磐線富岡駅。
国道6号線楢葉町のJヴィレッジの近くまで来ると1軒のコンビニがあった。
そこで休憩していると車通りが多いのはこの国道に入ってから変わらずだが、一般人が少ない事に気付いた。
良く見ると土曜日というのに、殆どの客が作業服を着ている。そしてなぜか地方ナンバーが多く、札幌、岐阜、大分等地元の車ではない。
 
その内の一人が我々に話し掛けてきた。
 
「東京から来たのか。」
「なんもないだろ、こんなトコ・・・。」
 
冷やかしと思われるのも致し方ないが、取り敢えず内陸の峠に入るのにたまたま通ったと伝えた。
するとこの辺りの事情を色々と語り出した。
 
聞くと、このコンビニは数少ない2軒ある内の1軒で、時間帯により長蛇の列を作っている程繁盛しているそうだ。その人の車を見ると、居住禁止区域への通行書が窓に貼ってあった。よく見てみると周りの家々に人気がまるでない。
一般車の通行のみOKだが、ここは帰宅困難地域のだった。
 
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国道6号線はこの場所から一般車の通行が出来ない。Uターンを余儀なくされたのはJR富岡駅へ入る道を見失ったから。
ここでも岐阜県警から派遣されたおまわりさんと話す事が出来た。Uターンする我々にえらく恐縮していたのが印象的だった。
線量がここより遥かに低いと思われる東京でノホホンと生活している我々こそ恐縮せねばなるまい。
 
この辺りまで来ると一般車の姿は無く、工事車両のダンプや作業員の送迎のバスばかりだ。ガソリンスタンドも1軒だけ営業していたが、セルフでもないのに店員が外に出ている事は無かった。恐らくお客が来たらその時だけ外へ出て応対するのだろう。
 
 
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なぜかは不明ですが、国道6号から駅へ向かう交差点名が変わっており、行き過ぎてしまっていた模様。
 
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遠目にみる駅はそれほど損壊がある様には見えません。
 
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それは震災前まであった駅舎が津波に流されて何も残ってないからでした。
ここは津波の被害が多くあった場所で、気仙沼や大船渡と同じ様な惨状だった様です。
 
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駅構内から外を見てみる。地上から5メートル以上だろうか、そこから下は津波に破壊されたままだ。
 
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仙台行きの列車が来る事はもう二度とない。
こう言うと問題かもしれないが、 地震と津波だけだったら三陸鉄道の様に復活していたかも知れない。
 
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しかし、”コレ”が復興に向けた全ての動きを規制している。
安全と謳われた・・・いや謳われていた「無限のエネルギー」を得る為の事故が全てを台無しにしてしまった。
この辺りにはこの様な設備が所々散在する。ここでは0.3という数字だたが、走行中に見たもので一番高い所は0.6を指していた。
 
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全てがあの時から止まったまま。時間だけがただ淡々と過ぎていく。
それを植物達が証明している。
 
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軽自動車を楽々と運んだだろう津波。全く想像がつかない・・・。
 
 
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この会社に直接の責任は無いが、子供達の未来が台無しになってしまっている。この看板は国道迄続いていた。
 
 
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国道には沢山の車の往来があるものの、一歩県道等へ移ると異様なまでの静けさに包まれる。虚しく灯る信号、そして聞えているのは我々の排気音だけだ。
雑草が生い茂る住宅は黙って家人の帰りを待っている。昼間をとは言え正直少々不気味な雰囲気だった。
 
画像には撮らなかったが、富岡駅近くの海岸やその周辺、そこから内陸に入った山中に黒いビニール包まれた大きな(1.5m角)程度のモノが大量に置かれていた。それが放射性廃棄物で無い事を祈るばかりだが、マスコミに情報さえ流さなければ我々は知る由も無いのは認識しておいた方が良い。
「情報操作」なんて幾らでもある話しだ。現に仕事柄そういった「聞いてはいけない話」なんてはよく耳にするから尚更。しかしあのゴミの様なモノは一体どうするのだろうか。
 
 
 
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富岡町から予定通り内陸に向かって、劇的に他車が少ない快適なワインディングを楽しんでいると、程なく雨が降ってきた。
 
通り雨かと思いきや、降ったり止んだりを繰り返し結局降り続いた。
そのお陰で昼食を食べ損ね、昼食というか夕食を摂ったのは午後6時を回っていた。
 
富岡町から川内、小野町経由で鮫川~矢祭、大子温泉、那珂へと歩を進める。夕飯の味噌煮込みうどんが雨で冷えた身体に染み渡る。
 
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常磐道那珂ICから再びの守谷SAまで一気。朝5時起きだったのと、総走行距離が600kmを越えていたので、3人共かなりフラフラ。雨が上がった所で雨具を脱ぎ、首都高、外環道とそれぞれに散って帰宅の途へ。
 
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最後にスピードトリプルにトラブル発生。知らずに飛ばしていて何事も無かったのは不幸中の幸い。結構エア残っていなかった。守谷SAでの応急修理が¥1500-税抜きだったのが意外。もう少し高いかと思った。
 
岩手宮城と違い、福島の原発界隈の復興は全く進んでいない。
住民への保証額があまりに多額の為、納得の出来る対応は国からされていない事も問題だが、そのまま放置というのは如何なものかというと言い過ぎでもないだろう。
富岡駅には我々の他にも数人がいたが、意外だったのは外国人が6~7名程度来ていた事。
 
我々同じ日本人として、この事実を知っているのはどの程度いるのだろうか。日々生活に追われ記憶から薄れているのが現実ではなかろうか。
この事実を忘れてしまっては、自己中心的と言われても致し方無い様に思う。”対岸の火事”ではけして無いのだから。
 
あれからたった3年しか経っていないのに、話題にも登らないのも問題。
震災の数カ月後に陸前高田へ脚を運んだ時も感じたが、今回も訪れて良かったと思っている。少なからず情報発信が出来るし、ほんの少しでも何か手伝える事があれば・・・という気持ちが改めて発生するから。
 
同行者も初めて被災地を自身の目で見た様だが、それなりに何か感じてくれたに違いない。