28年前の記憶・・・。 | 欧州車かく語りき。

28年前の記憶・・・。

1985年8月12日にそれは発生しました。
 
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ボーイング社製747型SR機、日航123便が群馬県は御巣鷹山の尾根に墜落。乗客乗員520名もの命が奪われた事故。
 
横山秀夫原作の「クライマーズハイ」という当事故を舞台とした地方新聞社の奮闘を描いた映画を観てから、この事故に特に興味を持った。
 
事故当時の昭和60年、私自身はまだ高校生だったが、偶然にも”共同通信社”内にある飲食店でアルバイトをしており、店長が「ジャンボ機が行方不明になってるんだってよ!」と言っていたのをハッキり記憶している。
 
テレビ等でテロップが流れる前にバイト先では話題になっていたのは確かだが、共同通信社内は特別慌ただしくもなかったのが今考えると不思議だ。事故現場の特定が日付が変わった13日早朝だったので、そういう事も理由かもしれない。
 
この事故をネットで検索すると、大事故に付きものの”陰謀説”が多く出回っているが、信憑性に欠けるものが殆どだ。
 
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オートバイツーリングでよく走る国道299号で、ここの存在は知ってはいたが、敢えて訪れるタイミングが今まで無かった。
今回映画を観た事で訪れてみたいと思ったのだ。
埼玉秩父界隈を抜け群馬長野方面へ向かい、”ぶどう峠”手前に”御巣鷹の尾根”という看板があり、そこから12km程度走ると登山者向けの駐車場に至る。
 
数年前に砂防ダム用の林道が開放されており、その駐車場から800m、標高差180mという比較的緩い条件なのが、私を後押しした。
 
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沢を横目に見ながらこの程度の登りで、登山開始直後は楽勝ムードだったが、次第に急な登りになっていった。この歩幅が中途半端な階段は余計にツライかも。それでも登山というよりはハイキング。
 
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8月12日には多くの慰霊登山客が訪れ、年々高齢化も進む中、こういったベンチや山小屋は有難い。水道も各所に用意され、流れる沢の水も飲用可であり、コップが置いてあるのも嬉しい。
 
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段々と急になる登山道。しかし山男や山ガールにしてみれば、準備運動程度の登山であろう。
 
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40分程で尾根に到着。まさにここへ最初に激突したそうだ。
この尾根には管理人さんもおり、色々と説明してくれた。
この辺り一帯は完全に焼け野原となり、今でこそ植林や自然に生えた木々が見受けられるが、他の山々を見るに明らかに不自然に木々が少ない。
 
ここでお線香をあげ、背後を見ると・・・。
 
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風車とベンチがある。ここから隣の山の尾根が見えるが、その正面に凹んでいる場所が確認出来る。
 
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日航機はこの正面からほぼ真横(左に90度傾いている状態)になって最初に奥の尾根に主翼をぶつけてから、私が立っている場所へ激突した。その際のスピードはおよそ時速600キロだったという。
 
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尾根の先端に”昇魂之碑”があり、その先の尾根を少し歩く事が出来、そこに鎮魂の観音様と遺族が建立した石碑も。その先の小屋にはご遺族のメッセージがある。
 
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事故に依ってなぎ倒された木が痛々しく残る。尾根伝いの道はその横にある。
 
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なんと当時の焼けた木が・・・。
 
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28年経過してまだこの状態は正直ショックです。
しかし、この焼けた大木が長きに渡り事故の事を後世に伝えていってくれる事でしょう。
 
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焼けた大木もそうだが、未だ事故機の残骸が出てくるとの事。見難いがこの中央にある光る金属片は・・・。
 
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こちらも当時モノの”プルタブ”が懐かしい。これも事故機に積載されていたのか、報道関係や救助関係の方が飲んだモノなのか。
 
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斜面には数えきれない程の墓標がある。下山途中で沢山出会ったが、かなり広範囲に渡っているのも事故の壮絶さを物語っている。
 
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もうこの人を知らない人もいるのかも知れない。
「坂本九」さんもこの事故で亡くなられました。お盆の繁忙期に満席の全日空に乗れず、已む無く乗った日航機でこの事故に遭われました。全日空にしか乗らないと言われていたのに・・・さぞ無念だった事でしょう。
 
有名人のお墓参りは初めて。もう28年も経つんですね。
 
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28回忌の慰霊登山から1カ月余り経過している為、登山者はそれ程多くないものの、15台程の駐車場はほぼ満車。管理人の方も仰ってたが、もっとこの山に登って欲しいとの事だった。そして色々と知って欲しい、山に眠る人に会っていって欲しいと・・・。
 
駐車場は満車だったが、擦れ違う事は多々あれど、私の視界に登山者はいなかった。
私は霊現象等には疎いが、何度となく聞えないモノが聞えた気がした。特に恐怖とかそんなのでは無く、「挨拶かな」程度に感じる不思議な感覚だった。
 
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ここも機体が散らばったであろう場所。木が少ないのが分かる。
現在は見えない廻りの山々がとても良く見えたという事だ。
 
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ここ”スゲノ沢”は機体後方に乗っていて奇跡的に助かった4名が発見された場所。もう少し救援が早ければ相当数の方が助かったと言われているだけに悔しさが残る。
 
亡くなった方々の悔しさや無念さが消えるとは思えないが、事故後28年という歳月が少しは癒してくれている事を祈るばかり。
東日本大震災もそうだが、キレイ事ではなく、訪れた事で色々と考えさせられた。
 
残された遺族の方の心の痛みは、時間の経過と共に少しづつ、ほんの少しづつだが和らぐとは言え、これから死ぬまで付き合っていかなくてはならない。亡くなった方の事を思い出さないわけもなく、一生つらい事には変りない。亡くなられた方は更につらいだろう。
それに比べると自分はなんと幸せな事か。仕事やプライベートでの問題等遺族の方々からすれば、取るに足らない事ばかりだ。
 
お線香を数本上げただけだったが、勝手に何となく清々しい気分になった。これでまた明日から頑張れそうな気がする。
 
520名の方々、これからもずっと安らかに・・・。