こんばんは★
ぶひぶひです。
最近太ってしまって仕方ないぶひぶひです。
食べないとやってられん!!というのが言い訳と、食べられているうちが花だ!!っていう気持ちと…何よりおいしいときが幸せっていう豚道まっしぐらな状態です。
今日は私の親友の命日。子宮頸がんでこの世を去ってから4年が経ちました。
息子を妊娠中切迫早産で入院しているときに、自身の体調も思わしくないのにお見舞いにきてくれたその親友に息子を抱っこしてもらうことはかなわなかったけれど、息子が鎖肛でかつ早産でストーマに悪戦苦闘しているときも静かにけれど、自分のことのように心配、励ましてくれたことを昨日のことのように思い出せます。
親友がこの世を去った2019年は、新型コロナはまだ存在していなくて、それからの4年でずいぶん様々なことが起きたと思います。プライベートでも世界の情勢も…。
ロシアのウクライナ侵攻を彼女はどのように思っているのだろうか?
新型コロナに翻弄されている社会に彼女が生きていたら彼女はいったいどんな風に対峙していたのだろうか?
彼女なら何を思い、どう感じたか?そんなことを考えても答えはないけれど、幾度となくそんなことを考えてきた4年間でした。
悲しくて仕方なかったけれど、ごはんも食べられるし、笑ってもいるし、寝てもいる、生きてはいけている。
けれど、やっぱり私の人生の彩りは欠けてしまったと思う命日でした。
彼女が亡くなったと知って一日中泣いている私を不思議そうに言葉を持たない優しいなまなざしをバウンサーに揺られながら私に向けていてくれた息子は4歳になり、言葉というコミュニケーションの手段を手に入れ、日々何かを学び、日々新しい体験をして時には盛大な癇癪を起し周囲の人の手を焼き、時にはこの世のものとは思えないほどの思いやりややさしさで包み込んでくれる子供に成長しました。
4年か…時の流れって何なんだろうな、うまく言えないけれど、不思議な生き物だなと感じます。
今は息子中心の日々をなんとかかんとか生き抜いている感じで、いつも笑顔の良い母親でもないし、仕事も育児も家事も二流、いや三流、本当に日々しのいでいるレベルでしかないけれど、一生懸命息子の命を守り、成長を見守れるようにこれからも頑張りたいなって思います。
そして、今は亡き親友や父に思いを馳せ、彼らなら何を言うだろう?どんな風に感じたのだろう?と答えはないけれど少し立ち止まって自分の立ち位置を確認しながら生きていこう。
なんだか徒然なるままに書き連ねて、まとまりがなくなってしまったけれど、そんなことを考えた親友の命日なのでした。
〇〇ちゃん、見守っててね。