こんばんは
私は結婚後、出産したいと考えていたのだけれども、妊娠・出産の心臓への負荷はとても大きく、わたしの今の心臓の状態では危険すぎるということで、妊娠は主治医に止められていた…
けど、そう簡単に諦めることもできず、どうにか出産への道はないか主治医には相談していた、あるとき、主治医がある希望の光を私に与えてくれた。
それは…「外科手術」という選択肢。
肥大した心筋を切除するという手術。日本での症例は多くない。手術できる先生も限られているとのこと。
手術をして今の息苦しさなどなどの症状の原因である圧較差を取り除くことができれば、かなり楽になれるはず、そして、投薬を中止できれば妊娠・出産も十分可能になるかもしれないというのだ
これを聞いたとき、わたしはすぐさま、「手術受けたいです」と言っていた。わたしにとっては希望の光だったから。
具体的に手術ができるかを見極めるため、2度目の心臓カテーテル検査やその他もろもろの検査を受けることに。検査入院のために仕事も1週間お休みもらって、挑んだ。
カテーテル検査は二度目だったけれども、前回の検査時、造影剤の副作用なのか緊張しすぎてなのか良くわからないけれども、検査後の吐き気が辛く、2度目といえども検査への恐怖はあった。けど、希望の光をつかむためなら頑張れた
このときの私は、手術して、出産して…と明るい未来を思い描いて、少し浮かれていたかもしれない。
いよいよ検査結果。
結果は「手術の適応なし」
手術できるフェーズではすでになかったと告げられた。思っていたよりも心臓が疲弊していて、拡張相の入り口だったと…
主治医:
『出産できないのは悲しいことだけれども、子供を残して早くに死んでしまったら子供も可哀想だからね、だからまずは自分の心臓のことを考えていこう。医療は進歩しているから。すぐさま心臓移植が必要になるとかではないよ、5年とか10年というそうゆう時間を経ての話だから、それまでに医療は進むだろうし。』
主治医:
『致死的不整脈が起こりやすいことがわかった。ICDを植え込めば万が一致死的不整脈がおきても助かる可能性が高くなるんだよ』
頭が真っ白だった。悲しかった。一気に未来が真っ暗になった気がした。
先生の前で涙を止めることができなかった。私の手を握ってくれた先生の温かい手は忘れられない。
心臓カテーテル検査の一環で、不整脈がどれくらい起きやすいかという誘発テストを実施していたのだけど、わたしは不整脈をあっさり誘発、電気ショックで意識を取り戻していた。
その電気ショックの跡は軽いやけどの痕となっていて、痛痒く、TVでみるような電気ショックでわたしは意識を取り戻したんだということを実感させられたのだ。
「生きたい」
私はそう思った。だから、生きる可能性を高めるため、ICD植え込みを決断。
ICDを入れることによる不便を考えなかったわけではない。決断した後も、「あーこれで機械人間になってしまう」と思って落ち込んだ。けれども、「生きたい」という気持ちを勝るものはなかった。
夫を一人にするわけにはいかないから、私はもっと生きたいんだ
一時は妊娠・出産もできるようになって、子供をこの腕に抱ける日がくるのかもしれないと期待を抱いたのだけど、一瞬にしてどん底に落ちた。期待した分、ショックも大きかった。
ちょうど、年賀状の印刷を頼んだ頃だったから、あーこれが最後のウサギ年になるのかなーなどと考えたりも。
葛藤はつきない、けど、「生きたい」からICD植え込むことに決めたんだ。
そして2011年11月、晴れてICD植え込み機械人間の私が
誕生

今日も相変わらずの体調で家に引きこもり。
南半球のブラジルは今が冬で、ここ数日は肌寒い
といっても、ロンTにパーカー羽織れば充分だから、過ごしやすいのだけど


今日は、ICDを植え込むまでの経緯を思い出しつつ書いてみようかな。
私は結婚後、出産したいと考えていたのだけれども、妊娠・出産の心臓への負荷はとても大きく、わたしの今の心臓の状態では危険すぎるということで、妊娠は主治医に止められていた…

けど、そう簡単に諦めることもできず、どうにか出産への道はないか主治医には相談していた、あるとき、主治医がある希望の光を私に与えてくれた。
それは…「外科手術」という選択肢。

肥大した心筋を切除するという手術。日本での症例は多くない。手術できる先生も限られているとのこと。

手術をして今の息苦しさなどなどの症状の原因である圧較差を取り除くことができれば、かなり楽になれるはず、そして、投薬を中止できれば妊娠・出産も十分可能になるかもしれないというのだ

これを聞いたとき、わたしはすぐさま、「手術受けたいです」と言っていた。わたしにとっては希望の光だったから。

具体的に手術ができるかを見極めるため、2度目の心臓カテーテル検査やその他もろもろの検査を受けることに。検査入院のために仕事も1週間お休みもらって、挑んだ。

カテーテル検査は二度目だったけれども、前回の検査時、造影剤の副作用なのか緊張しすぎてなのか良くわからないけれども、検査後の吐き気が辛く、2度目といえども検査への恐怖はあった。けど、希望の光をつかむためなら頑張れた

このときの私は、手術して、出産して…と明るい未来を思い描いて、少し浮かれていたかもしれない。

いよいよ検査結果。
結果は「手術の適応なし」

手術できるフェーズではすでになかったと告げられた。思っていたよりも心臓が疲弊していて、拡張相の入り口だったと…

主治医:
『出産できないのは悲しいことだけれども、子供を残して早くに死んでしまったら子供も可哀想だからね、だからまずは自分の心臓のことを考えていこう。医療は進歩しているから。すぐさま心臓移植が必要になるとかではないよ、5年とか10年というそうゆう時間を経ての話だから、それまでに医療は進むだろうし。』
主治医:
『致死的不整脈が起こりやすいことがわかった。ICDを植え込めば万が一致死的不整脈がおきても助かる可能性が高くなるんだよ』
頭が真っ白だった。悲しかった。一気に未来が真っ暗になった気がした。

先生の前で涙を止めることができなかった。私の手を握ってくれた先生の温かい手は忘れられない。
心臓カテーテル検査の一環で、不整脈がどれくらい起きやすいかという誘発テストを実施していたのだけど、わたしは不整脈をあっさり誘発、電気ショックで意識を取り戻していた。
その電気ショックの跡は軽いやけどの痕となっていて、痛痒く、TVでみるような電気ショックでわたしは意識を取り戻したんだということを実感させられたのだ。

「生きたい」
私はそう思った。だから、生きる可能性を高めるため、ICD植え込みを決断。

ICDを入れることによる不便を考えなかったわけではない。決断した後も、「あーこれで機械人間になってしまう」と思って落ち込んだ。けれども、「生きたい」という気持ちを勝るものはなかった。
夫を一人にするわけにはいかないから、私はもっと生きたいんだ

一時は妊娠・出産もできるようになって、子供をこの腕に抱ける日がくるのかもしれないと期待を抱いたのだけど、一瞬にしてどん底に落ちた。期待した分、ショックも大きかった。

ちょうど、年賀状の印刷を頼んだ頃だったから、あーこれが最後のウサギ年になるのかなーなどと考えたりも。

葛藤はつきない、けど、「生きたい」からICD植え込むことに決めたんだ。
そして2011年11月、晴れてICD植え込み機械人間の私が
