3月11日。

もう夜ですねー。


東日本大震災から5年です。


今年はあの日と同じ金曜日、あの日と同じくこちらの中学校では卒業式が行われました。


なんとなくねー、胸がざわざわしてしまうんですが。

同じシチュエーションになると、どーしてもね。


5年が過ぎ、福島で変わらず生活している私たちと、遠くにいる人たちとの間に、ものすごい感覚のずれを感じています。


震災後は福島に住むことが悪いことのように思っていた人たちも、時間の経過とともに、ああ、ここにいてもいいんだな、間違ってないんだな、と思えるようになってきて、普通に、普通にそして穏やかに生活を営んでいます。


子どもたちもいたって普通。


外で遊ぶし、保育園や学校での屋外活動もすっかり元通りです。


私個人としては。

そろそろさー、なんつーのかな、おろしてもいいんじゃないかなー、と思ってます。看板を。

「かわいそうな福島県民」っていう看板。


5年経つからはっきり書きますが、たぶん、世の中には福島の人が「かわいそう」とか「不幸」だと都合の良い人たちがいて、私たちは利用されているな、ってことを感じながら過ごした5年間でした。


○年たったら子どもががんになる白血病が増える、と恐怖を煽り、子どもを避難させろ、とあちこちで無責任な人たちが叫び、素人までもがブログやなんやで書きまくっていて、あの頃の福島のお母さんたちは、本当に気がおかしくなってしまいそうでした。

私もその一人です。


それでも本当のことを知りたくて、ネットの情報を読まずにはいられませんでした。


たぶん、迷わなかった親なんていなくて、でもそれでもみんな必死に自分なりの答えを出したと思うのです。


ここに残った私の知り合いのすべては、誰一人として、親も子もがんにも白血病にもなっていないし、家族がちゃんとつながって暮らしています。もちろん今も。


逆に、私の周囲では、自主避難がきっかけで、離婚に至ってしまったり、家族の問題が深刻化してしまった人が何人もいます。


どうしても避難しなければならなかった人は別として、

今の場所で、生活を続けても大丈夫だったはずの人たちに対し

「命を守るため」とエセ専門家がたくさん現れては家族をばらばらにしたことが、5年前の震災で、一番罪の重いことだったんではないかと私は考えています。


人の人生には責任がとれないのに。


あの頃は、怖くて書けませんでしたが、5年、5年の月日を福島でも決して放射線量の低くない地域で、子どもを3人育てて、暮らしてきたからこそ、ちゃんと言えるようになったと感じています。


私には、ちゃんと、わかるように説明してくれた専門家の人たちがいて、一緒に支え合える福島の友達もいて、そして、静かに応援して見守ってくれる遠くの友達がいました。


そして家族。


家族がばらばらになるということ、簡単に関係ない人がどうこう言えないよね。


私は離れなくて良かった。

ここにとどまって良かった。



震災が近づくと、振り返り番組いっぱいやるじゃない?

うちの娘たち、震災のことがトラウマになっている様子は特にない・・・のだけれども、震災関連のテレビは見たくない、って言うんだよね。


正直

「忘れないで」

とか

「風化させないで」

とか

よく言うけれど。


私個人の考えは、子どもたち対しては

忘れてもいいんじゃないかな、

と思っています。


いつまでも辛かったことを覚えてなくていいよ、って言ってあげたいんだよね。


他の人はどうだかわかんないけども。


福島の子たちは、震災の後遺症として、肥満と運動能力の低下が問題になっています(おそらく虫歯も)。

うちの子は肥満じゃないし(母はやばいが)、運動も並以上にはできる方だと思います。

別に特別なことをしてきたわけじゃないけどさ。


何でもかんでも震災のせいにするのは、福島に住んでいるわたしたちも、そこから抜け出さなきゃいけない時期に来てるんだと思います。


震災から5年。

あのとき生後2ヶ月だった末っ子は、5歳。

元気にすくすく育っています。


あのときも、そして今でも、ずっと心配して応援してくれて、そして思いを寄せてくれている人たち。

本当にありがとう。


私たちは、元気です。