震災からもうすぐ一年ですね。


ここんとこ、なんだか気が滅入っているワタクシです。


あの日のことを思い出しても気分が落ち込むし、やたらと震災の記憶を美化したようなテレビ番組もなんだか気が滅入る。

何より、福島の方が県外の避難先で、保育所の入所拒否されたとか、福島にタレントの方が旅行に来てツイートすれば、あっチュー間に炎上したりとか、岩手や宮城の瓦礫が受け入れてもらえないとか、なんだろう、そういう人ばっかりじゃないって、頭では分かっているのだけれど、本当に困っている人の心を踏みにじるような報道を聞く度に、絆、なんて言葉がうそっぱちのように思えてしまってならないのです。


まもなくやってくる「あの日」を前に、私の気持ちは、ずいぶんとささくれだっています。


この一年、原発事故に翻弄された私たち。


いっぱいいっぱい情報を集め、何が本当なのか、何を信じればいいのか、本当にさまよってきた一年です。


その中で、私が得た答えの中のひとつに

「人は、欲しいと思う情報にしか耳を傾けない。」

というものがあります。


そう。私も同じ。


放射能はコワイ。ちょびっとでも恐ろしい。

と、思っている人は、そういう情報がどんどん入ってきて、それらは素直に受け入れるのだけれど


本当は、ここをふんばれば、それほど心配することはないんじゃないの?

そう思っている人は、それを後押ししてくれるような情報を集め、それを信じるのです。



だから、避難するか、しないか、ということについても、「避難する方がいいんじゃないか」そういう思いの強い人は、避難をする理由や裏付けになる情報を集めるし、「しなくてもやっていける道はないのか」そう思っている人は、避難しなくても、大丈夫なんだというそれなりの情報にたどり着いて、福島での生活を続けているのだと思います。


「避難しない人は、大丈夫と信じたいだけ。そう思い込まないとやっていられないのでしょう。」

よくネットでは、そんな言葉も見かけますが、決してそれだけではないんだと思います(そういう人もいるのかもしれないけど)。

より、自分の中ですとんと落ち着く動機を、どの情報に求めたのか。それによって人生の選択が違っているだけなんだと思います。

まぁ、今はだいたい叩かれている人が多いですが、ちゃんと「大丈夫」の理由をきちんと提示されている専門家もたくさんいますから。


そもそもこの「叩く」という行為が、私には不信でなりませんでした。

「そんなに心配する状況ではない」と言う専門家は、あっという間に袋だたきです。

でもね、そういう専門家は放射能の危険性を叫び、不安をかきたてるような専門家を「叩き」はしていないのです。

自分の理論に、ちゃんとした自信があれば、人を攻撃する必要はないんじゃないかなぁ、と。



だから、私は世間で「御用学者」と叩かれている人を、批判するのでなく、どうして叩かれても、「心配しなくても大丈夫だよ。」と言い続けてくれているのか、と考えるようになったのです。


まぁ、ここまで書くと、だいたい私がどうして今もココにいて、あの日を前に、ささくれだっているのかわかっていただけるでしょうか。


誤解のないように。

私は、避難が悪いとも、放射能の危険性を世間に知らしめている専門家が悪いとも思っていません。

私は専門家じゃないしねー。

ぶっちゃけ、今でも何が本当に正しい情報かなんて、わかるはずもないのです。

自分が正しい、とか何が間違っている、なんてちょびっとも思ってもいないのです。ホントに。


ただ、私が、この一年何をどう受け止めて、ここでの生活を続けてきたか、ということをありのままに書いてみようと思っただけなのです。


そしたら、今日の朝日新聞地方版に、ああ、そう!これはまさに私が思ってきたこと、そのものだ!と思う講演会のレポートがありましたので、ご紹介したいと思います。


芥川賞作家でお寺の住職をされている玄侑宗久さんのお話しです(抜粋)。


 川内村が帰還宣言をしたが、若者たちが戻らないという問題がある。なぜこういうことになったのかというと、国が年間の許容被曝量を「年間1ミリシーベルト以内」としたことがある。あまりにも現実離れをした目標値だ。

 国際放射線防護委員会(ICRP)は非常時の許容被曝量を年間20~100ミリシーベルトと定めている。日本の自然放射能の平均は年間1.45ミリシーベルト。いまの福島は非常時で、1ミリシーベルトというのは夢のような値だ。このため福島がどこもかしこも危険な場所と思われてしまうのだ。

 日常の食事でも私たちは毎日放射性物質を取っている。米、ホウレンソウ、昆布、お茶など何にでも放射性カリウムが含まれている。現実を考えても1ミリシーベルトを目指すのは大変なこと。専門的に研究してきた学者がいるのに、いまは発言できずにいる。「御用学者だ」という批判があるからだ。

 ここに働いているのは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという論理。放射線が怖いから原子力を研究する学者を信用しない。ここは冷静にならないといけない。今、「危ない」と盛んに言っている人たちの多くは専門でも何でもない人たちだ。

 私たちは東京電力に放射性物質という巨大な屁をかまされ、悩まされている。しかし、悩みすぎてストレスでがんを発症するおそれもある。カタカナで「フクシマ」と表現されることをストレスに感じるのは、我が身にムチを打つようなもの。放射線よりも激しいストレスはある。もっとしたたかになり、余計なストレスを感じない暮らし方を心がけた方がいい。

 


そうそうそう!そういうことがいいたかったんダヨー!

ああ、玄侑さんとお友達に慣れた感じー。


なんだか、うまく言えないことが多すぎるけど、私が思っているコトって、こんな感じなのです。


あの日から、間もなく一年。

何も悪くないのに、後ろめたいような思いを抱えていた時期もありました。

ちゃんと、自分の気持ちに整理をつけるべく、これから、少しずつ、ありのままを、正直に書いていこうと思います。


滅入ってばっかりいないで、少しずつ、前にすすまなきゃね~。