悪いニュースもあれば、良いニュースもある。


三女が米アレか?のその日、二女kani、小麦が解除となりました。

もっと晴れやかな気持ちになるかと思っていましたが、なんだか複雑な気持ちです。


主治医の指示どおりなら、kaniは一昨日まで25gのうどんを食べ、昨日から30gになるはずでした。

前回の通院で、25gを指示されましたが、その日は、原発の事故の直後でした。


「避難するかも」

そう思い、荷造りを始めましたが、行くアテなどなく。どこかにとりあえず宿を取るか、避難所に行くのか。

交通機関はほとんど麻痺。

行くとすれば、一日数本の高速バスに乗るしかありません。


どこで、食べ物に困るかわからない。


その恐怖は、とてもとても、簡単に文章にすることはできません。


例えばどこかで、うどんにありつけるかもしれない。その時、私は、この子の空腹を満たすために、「どこまで食べられるか」を知らなくてはいけない。

そう思ったのです。

水も断水で、うどんをゆでるだけのお湯さえ勿体ないと思う毎日。


いつかkaniに、と思って買っておいた強力粉で、パンを焼き始めました。


いけるところまでいく。


そう決めました。

私の車には、近くのかかりつけ医のところに数回行けるぐらいのガソリンしかありませんでした。

それでも、私の責任で食べさせる。

後退することも覚悟の上で。

もう、医者のせいにはすることができません。

毎日、何かギリギリのところで決断に迫られていたように感じます。


毎日、毎日小麦のパンを増量しながら食べさせました。

あっという間に、kaniは8枚切りの食パン1枚を平らげるようになりました。


今では、毎日55gのパン(250gの小麦粉を7分割)を1個。それに例えば夕食に餃子とか、昼食にたこ焼き、とかおやつに小麦粉を使ったもの、など食べることができています。


全部この1ヶ月での出来事です。


でも、主治医の指示を無視して、ギリギリのプレッシャーの中での増量は、「あの状況」だったからしたまでであって、親としてはかなり苦しいものがありました。

そして、本当はもっと積極的に進めていけるのではないか、という私の考えは、結果として間違いではなかったのかも知れないのですが、今回の震災のような非常時において、「できるはずのチャレンジ」をしてこなかったことが後悔以外の何物でもない、ということも深く学びました。


kaniが生後1ヶ月の時から、4年以上お世話になった主治医ではありますが、今回を機に、病院を変えよう、と決めました。

これまでかかりつけ医であった先生に診ていただくつもりです(nicoも同じ先生です)。


脱脂粉乳が入っている小学校の給食のパンを、できることならみんなと同じように食べさせてやりたい。その母親の気持ちを汲んでくれたから。


今回の解除は、本当に非常時がもたらしたもので、素直にウレシイ、と思うより先に複雑なモヤモヤとしたものが胸に残りました。

私がしたことは、決して人に勧められることではありません。

でも、短期間で、小麦粉のパンを食べることができるようになったkaniはとても自信がついたようです。

長い時間かかっての負荷は、彼女にとって負担でしかなかったように思いますが、今回の解除で「もっとほかのものもたべてみたい!」と思うようになってくれたことが、一番うれしく思います。


kaniはこれからまた血液検査をして、負荷試験に挑みます。

最近背もぐんと伸びて、一回り大きくなりました。

新たなチャレンジの春です。