今日は、夫が明け方3時から10時まで並んで、やっとのことでガソリン3000円分手に入れることができました。


夫が仕事に行くと、買い物に行けないので、その後私が自転車で買い出しに。

野菜と魚、国産ではないけど、お肉も買うことができました。


ヤマト運輸さんが、営業所留めで、配達を再開して下さることになりました。


愛知の姉から「何か必要なものがあれば送るよ。」とメールが。

いやいや、なんならネットで買えるから大丈夫だよー。


楽天で必要なものををぽちっとしました。

いやー、便利だ。ありがとう。ヤマトさん。


生活は、少しずつ、少しずつ改善されています。



県外に避難していたお友達Nちゃんのだんなさんが一足先に、こちらに戻ってきました。

Nちゃん、だんなさんに、我が家の分のお野菜も持たせてくれました。


水が心配だろうと、キレイに洗って、すぐに食べられるようにしてくれて、それ以外にも、ゆでた野菜をジップロックしてくれました。

段ボール箱の下には、サトウのご飯と、ペットボトルの水も。


もう、本当に、感謝の気持ちで涙が出そうになりました。


ありがとう、とメールすると


「避難できない、と言っていたむうを置いて、先に避難しちゃって申し訳なくて・・・」

と返事が来ました。


そんなこと、気にしなくていいのに。

避難できる人は、すればいいし、できない人は、その中で最良の方法をとればいい。

避難できない私のことを考えて、自分を責めたりしないでよ。


みんなが今はたいへんなんだから、それぞれ自分のできることをがんばればいい。


自分が人より恵まれていること、責めている人、いっぱいいるんじゃないかな。


どうか、自分が被災していないこと、責めないで下さい。

今日、温かいおいしいごはんを食べられること、責めないで下さい。

今までの生活を続けていることは、悪いことじゃないです。


なんだか、日本中の人が、罪悪感に押しつぶされてしまいそうで、心配です。


自分を責めるのでなく、感謝する気持ちになれれば、それでじゅーぶんなんじゃないかな、そう思います。



身内の恥をさらすようですが。


私は、いざというとき、母と一緒に子ども達を連れて、愛知に行くことにしていました。

母は、以前から、愛知に住む妹が「こっちにおいで」と言ってくれていたので。


母が叔母に、「いざとなったら、お願い。」と連絡したのでしょう。

その数日後、叔母から、愛知に住む私の姉のところに「来てもらっては迷惑だ。」と連絡が来ました。


「じゃあ、なんでこっちに来たら、なんて言ったんですか?」と姉が尋ねると、

「娘であるあなたが、母親のめんどうを見ようとしないから、言ってやったまでだ。」

とまで言われ、姉は激怒。

「あんなところに行くことない。お母さんは、うちに来ればいいから。」

そう母に電話をしましたが、母は、実の妹の信じられない発言に、心を痛め、泣いてしまいました。


私も、実は姉とは、ちょっとぎくしゃくして、疎遠だったのですが、今回連絡すると、なんのためらいもなく「歓迎するよ」と言ってもらえ、それだけで、本当に命を救ってもらえたような気持ちになれたのです。

姉がいて、本当に心強い、と感じました。


窮地に立たされている人を、たとえ血を分けた兄弟であってもふみにじる人がいる。


その影に「被爆への差別」を感じずにはいられません。


あ、別に被爆してないですよ。誤解のないように。

でも、離れた人から見たら、原発に近い人が来る、というと、それだけで怖いのかなぁ、と。


他人でも、助けようと手をさしのべてくれる温かい人がたくさんいるのに、本当に悲しくなってしまいます。


隣の市に住む、下の姉のところでは、小規模ですが、お米を作っています。

「もう、”福島”っていうだけで、お米売れないんじゃないかな。作っても売れなかったら、どうしよう。」


その思いは切実です。


県内の牛乳、農産物は、念のため出荷自粛になってしまいました。

これから、春を迎え、農作物を新たに育てることをためらっている農家の方も多いと聞きます。


はじめは、この地域、地震の被害もそれほどでなく、すぐにもとの生活に戻れると思っていたのですが。


県内全域、ものすごいダメージを受けています。

農家の方々の不安を考えると、本当に、何もできない自分がちっぽけだなぁ、と感じずにはいられません。



今回の震災で、人の温かさをいっぱい受け取ることができました。


いつか、福島産の農産物が出回るようになったら、日本中の方がその温かさで、福島産のものを拒むことなく、手に取ってくれるようになるといいな、と強く、強く願わずにいられません。