私の住む市では、、水は3~4割の世帯で復旧したようです。

我が家はまだですが、すでに2日前から水の出ている私の実家では母がnicoのお風呂を心配して、お風呂に入れに連れてきなさい、と何度も電話をかけてきています。


行けない理由は2つ。

ガソリンが残りわずかなこと。

放射能が怖くて、子どもを外に出したくないこと。


県内の屋内待避命令の出ている地域より、高い数値の放射能が検出されている私の住まい。

水を汲みに行くのも正直心配なので、水もさらに節約しています。


昨日、近くの友人が県外の親戚のところに避難したと聞きました。


避難できるところがあって、そして無事避難することができて良かったなぁ、と思う反面、焦りがないといえば嘘になります。


私も夫も実家は同じ市内。

私の母は、自分の妹が来ても良いよ、と言ってくれているそうですが。


姉が愛知にいますが、私の一家(5人)、隣の町に住む下の姉一家(4人)を受け入れられるか?といえば正直キビシイものがあると思います。

それも、数日で済むとは限らない。何日になるか分からない、となれば、いくら姉妹であっても簡単にお世話になる決心がつきません。


自主的に隣県などに避難している方もたくさんいるようです。

でもテレビなどで避難所の映像を見ると、避難所に行くのはkaniのことが心配でなりません。


子どもをちゃんと食べさせてやれるのか。


どの避難所でもみな、救援物資のパンを食べている姿。

kaniはどうやっても食べることができません。


また、家にいても肌がボロボロになっていく生後2ヶ月のnicoを、避難所でどう守っていけばいいのかわかりません。


家にいれば、寒さもしのげ、布団で眠ることができる。

いつものような食事はできなくても、一日3回あたたかな食事を取ることができる。

決して十分ではなくても衣服もあり、水分に困ることもない。


子どもを空腹から守ることを考えると、「避難」ということがとても困難に思われてなりません。


こんな時、ふと「アレルギーがなかったら・・・」「赤ちゃんがいなかったら・・・」という思いが頭をよぎり、そんな自分が情けなく、あまりに無力な自分が情けなくなります。


今日、nicoを病院に連れて行きました。

近くの学校が避難所になっているので、避難生活をされている高齢者の方々が、お薬の処方をしてもらいに大勢詰めかけていました。


nicoの肌はボロボロ。

「むうさんとこ、まだ水でないの?」

「まだなんです・・・。」

「じゃあ、薬、出しておくね。これはかゆかったねー。」

「先生、ガソリンがなくて、次来られるか分からないので・・・。」

「じゃあ、多めに、2週間分出しておくね。」


看護婦さんと少し話をしました。

「避難する人が出てきたけど、うちは避難してもkaniは食べるものがなくなっちゃうから・・・。」

初めて、言葉にしたら、なんだかたまらない気持ちになりました

「そうだよねぇ。お母さんも、小さい子どもが3人だもの、不安だよね?」

と言われ、なんだろう、地震の後で初めて、涙がぽろっとこぼれました。


そう、不安だったんです。


でも、私たちのところは大丈夫。まだ、ずっとマシなんだから。

まずは子どもをちゃんと守らなくちゃ。



そうずっと気を張り詰めていたんですが、kaniの食べ物のことで避難をためらう自分を受け止めてもらえて、緊張の糸が少し緩んでしまったのか、たまらず涙が出てしまいました。


「でも、家もあるし、食べ物もまだ大丈夫だし。こうやって、病院やってくださって、どれだけ助かるか・・・。」

「私たちも、お薬あるうちは、病院開けようね、ってやっているんですよ。」

「ありがとうございます。」


11日のあの時から、ずっとずっと不安と緊張が私の中で張り詰めていたんだと改めて実感しました。


あの震災の日、お昼過ぎに、いつもと違うスーパーに行きました。

理由は、今週のおやつの代替に「フルーチェ」があったから。

「ミルクのようにやさしいダイズ」とその日売り出しの「フルーチェ」を買ってきたのです。


保育園のおやつどころか(保育園は現在、どうしても見る人がいない子だけ登園可能、弁当持参です)、その日買った豆乳とフルーチェは、今や家族の大事な食糧となっています。


豆乳を開ける時、ものすごく「あたりまえの毎日」が壊れてしまったようで悲しくて、少し笑いました。


売り出しだから、とわざわざ遠くまで買い物に行くこと。

保育園のおやつ代替を作れること。

いつもだったらおやつやデザートになるはずのフルーチェが栄養源と化している今。


週末は美容院に行くはずだった。

本屋にも行くはずだった。

今週は娘達を美容院に連れて行って、

今週末には保育園の卒園式と修了式、そして謝恩会が開かれるはずだった。


みんなあの日まで、普通に毎日を過ごして、次の日には当たり前の毎日が待っているはずだった。


でも今は違う。


今日まで涙も出ないぐらい余裕がなくて、いっぱいいっぱいだった私。


県で発表する放射能測定値をこまめにチェックし、

子どもは外に出さない。

毎日昆布で出汁を取って、ワカメを入れた味噌汁を飲み、朝は海苔も食べる。


こんなことしか今はできません。


このブログは私の正直な気持ちの受け皿だから正直に書きます。

怖いです。不安でいっぱいです。

これからどうすればいいのか、どうすれば子ども達を守れるのか、自分で考え、自分で決めなければいけません。

避難するのか。ここにとどまるのか。


水が出るようになって

ガソリンが手に入るようになれば

だいぶ心も落ち着くのでしょうが。


震災からもうすぐまる一週間。

家にいられる私ですらこの状態です。

避難所や自宅待機命令が出されている地域の小さい子ども達、そのお父さん、お母さんのことが心配です。


とにかく飢えと寒さから早く解放されますように。