こんばんは
智子です
躾というと
どんなイメージかしら
”厳しい” ”型にはまっている”
そんな感じかしら
どちらにしてもステキなイメ-ジは
少ないかな
躾は 美しい身体と書く
そう仰っていました
躾=礼儀・作法 というのは
美しい身体をつくっていく先人の知恵
日本人にとって 私たちの身体を最大限に生かす知恵
先人は体感で当たり前のように生活の中に
あったんだと ゆみこ先生の言葉から
感じ取れました
昨日のブログで私自身の身体が
敏感になってきたということを書いたのですが
昔の人たちは 更に敏感というより
感受性が豊かで
極端な話し いろんなものと話しが
できたかのように感覚が
鋭かったのではないかと
それは人々にとっては
ごくごく当たり前のことで
着物にしても食べ物にしても
生活のあらゆる中に身体を生かす
知恵が
今回 和道ヨガを受講し感じたこと
それは 自分自身を丁寧に扱う
自分自身を丁寧に扱う
それは 自分の周りに
対しても丁寧に扱うことができます
そして周りからも自分自身に対し
丁寧に扱ってくれるようになり
例えばね 着物を羽織るとき
余談ですが
実はね 和道ヨガの前日
急遽 着付けを習いに行ったんです
”着物で和道ヨガを参加したい”
そんな思いが湧きましてっ
7年ぶりの着付け
もう ま-ったく覚えていないの
着物を着る時の所作としてね
片側の肩を落とし
肩から着物に向かうようにして
肩を入れていくの
一方が終わったら
また もう片方の肩も同じように
肩を着物にいれていきます
その所作を 前日習ったものですから
たまたま その所作が和道ヨガで実践できましたっ
和道ヨガでは
着物の変わりにショールを使って
着物を羽織る 肩の入れ方の所作
さ- 実験 しました
肩からいれて羽織るのと
勢いよく風になびかせて
バサッ と羽織る
2通りの羽織り方を実験しました
するとね それぞれの体幹の違いが
はっきり
着物の所作の肩入れをした方は
体幹がどしっとなり
腕を引っ張られても
腕と体幹が一体になっていたの
バサッと羽織った方は
身体のパーツがバラバラのような
肩だけ引っ張られ
体幹も どっしり感を感じられない
そんな感覚でした
たかが この動作ひとつ
そう たかが なんですよ
不思議でしょ-
不思議ですよね-
これは ほんのひとつ例ですけれども
昔の生活の中には当たり前のように
動きの一つひとつが
生活の中に当たり前のように
生きづいていたといいます
動きの一つ一つが
軸がぶれない ハラの据わった
ことに繋がるんだと感じます
つまりは 一つ一つの動作が
丁寧に行われている
丁寧に行うということは
意識が一つ一つへ
行き渡ります
片側の肩を落として羽織る
これで一つの動作の完成
もう片方の肩を落として羽織る
これで一つの動作が完成
一つ一つの動作に留めがつく
バサッと羽織る動きは どこにも留めがなく
エネルギーが流れていってしまい
留める動作がないから
エネルギーが流れていてしまってる
これは私の勝手な解釈ですが
そう感じました
和道ヨガには つまりは先人の知恵の中には
たんまりと先人の叡智が詰まってます
これを 使わない手はないでしょう
私たちは 知らなかっただけ
ただ 躾を教わらなかっただけ
でも これは時代の流れで
教わらないことがあったから
初めて その良さがわかることって
ありますもの
そしてね 私自身が一番気になっていた
正座の仕方
面白かったなー
ゆみこ先生が 正座で変わる
そう仰っていたので 愉しみだったの
あらゆることの大元になるイメージがしました
わたしが体感したのは
きっとほんの一部
正座の説明は とにかく奥が深い
そんな 体感でした
自分を丁寧に扱って
あげて下さいね
それが一つ一つに
意識が向くことになります
意識が 美しいあなたを
つくります
そう ハラが据わった
いつも ありがとう


