昨日、こんなことがありました
母より
" 話がある " と伝えてきました
大体予想はついていました。
そしてね、私の中ではチャンスってね♪
母から場を持って何かを
伝えようとしてくれるのが嬉しかったんです♡
不思議でしたね~
同じ人を目の前にしているというのに
モニターセッションをした母
そして、母の中に溜まり溜まった頭から出てくる
あらゆる言葉をいう昨日の母
こんなにも感じ方が違うのかって(*^_^*)
わたしが今ここに留まるという
お試しのようでもありました♡
母のセッションのときは
母の曇りもない鏡になるわたし
昨日の対話は
私が母を鏡として見ていました
わたしの鏡として見ていたんです
私の中で " 寂しい " 湧いてきました
そしてね
、” なぜ私を受け入れてくれないの? ”
”受け取ってくれないの? ”
”受け入れようとしてくれないの? ”
”なんで? ” という寂しさが溢れました
でもねこの寂しいという感情
今ここにいられるようになると
感情はとどまらず通り過ぎていってしまいます
涙が出て感情が流れていく
数分後には何もなかった自分に戻れるんです
そして、母は "辛い" と言っていました
母の鏡となって写し出されるわたし
毎日顔を合わせるんですものね
感情の出し方を忘れてしまった
たくさんの感情を溜めている身体
" 私はこの家を出る "
そりゃ逃げ出したくなります
ここにいたくなくなります
私が実家にい始めたころ
話しをしようとすれば
母はほとんど目を合わせようとしませんでした
じっくり話しを聞こうとしませんでした
というより聞くことができなかったですよね
感情を真面に感じるのを避けていたんです
だから、私の前に留まろうしない
逃げ腰でした
今では少しずつ私の前に留まってくれます♪
今回のように" 話がある "
わたしと向き合おうとしてくれました
私はそれが嬉しかったんです
だからね少し言えたんです
"あなたは何も言ってくれない
どこに行くかも言わない"
っていう 母に
"自分から気持ち言葉を出さないと
待ってたって何も来ないよ"
こんな感じで
いくつか伝えることができました♡
でもね、これもわたしの中にあるもの
お互いに無いものは映し出されないんですよ
雨が降ろうが槍が降ろうが
少し激しい例えですが(#^.^#)
私は私のためにここにいる
決して誰のためでもない
今ここにいることで周りのためになっていく
母親として娘が心配
そんな母としての責任感を感じました
それは母の表現
母の愛の表現なんだろうなぁ♡
今日も最後までお読みいただきありがとうございました
