こんにちは〜
連日の暑さ、
日中はとんでもない日差しの強さ、
皆様いかがお過ごしでしょうか??
わたしはアイスを食べて過ごしています
(´∀`)
今日は「無限の可能性」について、この夏の気づきがありましたので、書いておくことにしました。
よくスピリチュアル界では、
「私たちは無限の可能性をもっている」という言葉を使います。
私の場合は、この言葉をいつも、
「はい、知ってます。(聞いたことあります)」と思いながら聞いていました。
私は、スピリチュアルへの興味はかなりながーーい方なので、この話は耳タコ話であります。
しかし、
「無限の可能性を使いこなしているぜぃ」という気分で聞いていたわけではありません。
「無限の可能性ねぇ〜」っと思いながら聞いてました。
「信じてやるしかないよねー」って感じですかね。
ただこの夏、このことについて、もう一歩腑に落ちて理解したことがありましたので、そのことについて書いておこうと思います!!
では本題へ♡
わたしたちは大抵、
「あなたには無限の可能性があるんですよー」と言われると、
「素晴らしいと感じる可能性」を想像します。
「あんなこともこんなこともできるようになるのかしら?」とか、
「あんな経験もこんな経験もこれからの私を待っているということね?」とか。。。です。
一般常識で「いい」と言われる方の可能性を想像し、それを楽しみにして過ごします。
そうなのです。
なぜか「いい方の可能性」が「自分の無限の可能性」だと思いやすいのです。
では、本当にそうでしょうか??
『無限の可能性』なのだから、
「いい」も「わるい」もどっちもあって初めて『無限』になるわけですよね。
『無限』にするには、どちらも必要です。
もっと言えば「どちら」どころじゃなくて、
私が想像できる範囲を超えてしまうものまで含まないと『無限』になりません。
そうなのです。
「わるい」と言われているような可能性も、『無限』の中には必要不可欠なのです!
私たちはどんな経験も、なんでも経験することができる。
それは、
一般的に「いい」と言われる経験も
一般的に「わるい」と言われる経験も
なぁーんにも変わらない、変化のない経験も
今この地球に存在しないような経験も、
今この天の川銀河に存在してないような経験もです!
最後の例えはちょっと大きく出てみましたが
( ̄▽ ̄)
『無限の可能性を持っている』とは、そういうことなのです♡
どうですか??
ちょっとこの言葉のイメージ変わりましたでしょうか??
私たちの一般的な習性として、
『無限の可能性』をイメージする時、
「いい」方の可能性だけイメージして。。。
なんとなくそこに向かうのは遠い先の話のような気がしてみたり。。。
夢物語だと思ってみたり。。。
できない理由もイメージしてみたりして。。。
まあとりあえずこんな感じというところを選ぶ。。。
そして「ちょっと変わったよ」と満足する。。。
というパターンになりがちなのではないかと思うのです。
そしてこのパターンの時の私たちは、「わるい可能性」をイメージの中に採用していません。
私たちは「今いる現状は大きく変わらないことを前提に選ぶ」ということをしがちなのだと思うのです。
もし「最悪の可能性」も、イメージの中に採用してたらどうなるでしょう?
選ぶ選択は、今までと変わらないでしょうか??
私は、結構変わってくるのではないか??と思うのですが、いかがですか??
最悪までイメージした時は、かなり気持ちも変わり、選ぶ行動も変わってくるのでは??
「最悪の可能性」は、馬力のような、私たちの重い腰を持ち上げるような効力を持っていると思うのです。
そうなのです!
『無限の可能性』を使いこなすには、『最悪の可能性』という手札なくして、使いこなすことは難しいのです!!
『全ての可能性を使う』というのは、“想像できうる限りの全て”をイメージしてみることから始まるのです!!
ψ(`∇´)ψガォー
(これが言いたかった♡)
そして、
どんな行動を選ぶか
どっちに向かうか
何を考えるか
どんなイメージを描くか
今どんなきもちで生きるか
『全てが全部“今”にある』というのは、こういうことか!!
っと腑に落ちたのです。
最善も最悪も中途半端も、全てが今、私の手の中に。。。
この夏の
気づき書き留め
満足さ
あとは麦茶で
乾杯よ
( ̄∇ ̄)
まあ本来、うちゅうにはいいもわるいもないので、全てがただの経験。
この時、「イメージができない」というのは、「経験不足」と言うこともできます。
うちゅうは、経験を後押しするところなので、経験不足なところは、喜んで経験させてくれるとも言えます。
ということは、イメージ不足な部分は、経験で補う必要が出てきて、実際に経験することになるとも言えます。
今、世界で
2025年7月はどうたらこうたらとか、
南海トラフはどうたらこうたらとか、
津波がどうたら
噴火がこうたら
食糧難が
後遺症が
と、色々言われていますが、
先ほど書いた「最悪の可能性の持つ効力」と関係があるのではないかと私は思っています。
私たち地球人がやるべきことはもう決まっていて、
地球が変わると言っているのだから、
地球についていくしかないのです。
その中で、個人個人がやらなければならないことも、もう決まっているのです。
おそらく、生まれる前から決まっているのでしょう。
それは、
地震がおきてもおきなくてもやらなければならないことで、
津波がおきてもおきなくてもやらなければならないことなのです。
そのやらなければならないことを、後回しにさせないためにこのようなことが起きているのでしょう。
さて、
何をやらなければいけないのか?
それを知りたい時こそ、
想像できる限りをつくした「最悪の可能性」をイメージしてみましょう。
全力で全身で「最悪の可能性」をイメージしてみましょう。
そうすれば、
「最高の可能性」に必要な選択をすることができるでしょう♡
みんなで『無限の可能性』を使いこなしていきましょうね♡
ではまたね〜