相変わらずの酷暑この暑さの中、放射線治療で毎日通院してる人や薬の副作用で辛い思いしてる人には、なおさら厳しい夏になってるんだろうなぁ…。
来週末は私も定期検診。
メンタルがどんよりにならないように、とにかく考えないことにしてる (でも 造影剤嫌だな)
お盆ですね。
ブログにも触れたこともあるけど、
胃がんで闘病していた義父が7月の初旬に亡くなりました。
今年の夏は越せるかどうかと主治医からは言われてた…。
それでもその日は思ってたより早く来てしまいました。
義父はもともと片耳が聞こえなく、補聴器を持っているのに、家族を集めての病状の説明やら治療方針の話しの時に、なぜか補聴器をしていかない。
それはあえてしていかないのか、それともうっかりなのかは聞けなかったけどね。
ほとんどの先生の話しを理解していた義父だけど、余命に関しては最後までどう理解してたのか家族にもわからなかったんだよね。
わかってるけどあえて『まだまだ生きれる!』と考えようとしてた可能性もある。
それか先生の説明がある時は毎回 1時間以上かかるから、義父は途中から座る態勢が辛くなるし、咳き込んだりムカつきで、話に集中できなくなってたから、終盤はあまり聞けてなかった可能性も大きいけど。
先生も本人が明確に余命の質問をしない限り、はっきりと言わずにいてくれたし、そこは義父の性格を理解してくれて、決して気落ちするような表現を避けてくれてました。
緩和ケア病棟の先生もそこは本人の口から聞かれない限りは言いませんって。
昨年の10月末に胃がんのステージ4がわかってから8ヶ月とちょっと。
あっと言う間だった…。
病気が判明してすぐに予定してた婆ちゃんの法事だけは、なんとか終わらせないと!と、痛み止めを過剰に使ってしまい、恐らくその副作用で胃穿孔を起こして緊急手術から始まったがんセンター。
手術は成功したけど、その後、固形物を食べると酷いムカつきを起こすようになってからは、食事が取れなくなってしまった義父。
生卵にお醤油入れたものと、もともと好きな牛乳が義父の食事…。
あとはいろいろ試してもらったけど、抗がん剤の副作用なのか味が変わってしまったらしくてひと口でやめてしまう。
あ、メロンは大丈夫だった。
それもふた口 み口でおしまい。
なので24時間高カロリーの点滴を約8ヶ月。
カフティポンプの使い方、輸液の交換方法、訪看さんがチューブを交換する日は、CVポートの針を抜くとこまで家族がしておかないといけません。
毎回、超緊張です。
点滴も空気が入らないように手順を正確にしないといけないし。
その為にがんセンターで看護師さんからレクチャーを受けました。
それも何度も。
失敗したら大変だものね。そんだけ慎重に病院側もやってくれました。
娘の大学受験が終わるまでは、主に旦那の妹が泊まりでお世話してくれてました。
土日は旦那が。
受験が終わって、いよいよ私がメインにお世話することに。
我が家から旦那の実家までは、車で1時間半くらいかかるんだけど、子どもが小さい時こそ泊まりで顔を出してたけど、息子が小3からバスケを始めて、土日も練習やら試合やらで、盆暮れくらいしか顔を見せに行く事もなくなってた。
だから何一つ親孝行らしいことをしてなかった私。
それでも初めは立場上 仕方なく…と言うのが正直な気持ち。
ふだんから疎遠にしてたのは自分なのにね。
だから、いきなり私一人で義父母と生活なんてハードルが高く感じて、テンションも下がりっぱなしだった。
その為にパートも辞めた。
義母も永年の糖尿病で毎朝 インシュリンを打つのも忘れたらいけないし、2度の脳梗塞で要介護1で、デイサービスやショートステイの準備もある。
でも もう義妹にばかり甘えてるわけにもいかない状況だし、意を決して介護生活をスタート。
慣れるまでは大変な事もあったけど、義父母はもともと優しい人だから、何かにつけて『ありがとう』って言ってくれる。
義父と義母の通院の付き添いにも慣れて来て、多い時は週に5日は泊まり、久しぶりに我が家に帰ったら、気が抜けてどっと疲れが出て寝ると言う生活だった。
その間、義母が3回目の脳梗塞をショートステイ先で起こしてしまい、入院生活に…。
義父も余命3ヶ月くらいのあたりで胃の出口にステントを入れる手術をしに入院。
2週間くらいは自宅からお見舞いの生活になって、その間は身体を休めることが出来た。
ステントがうまくいけば、胃のムカつきもなくなるし、お粥ていどなら食べれる!って楽しみにしてたけど、結果は残念なことに。
腫瘍ができてる位置が悪かったのか、術前とほとんど変わることがなった…。
これには義父も家族もがっかりだったなぁ。
仕方ないんだけどね。
『食べることは人生において、生きる醍醐味』と義父が言ってた。
本当だよね、私も放射線治療中、食欲もなくなって、普通に食べれる事の有難さがよくわかったもの。
痛み止めのカロナールがトラマール、オキシコドンとオキノームに変わり、それでも痛みで夜 熟睡できなくなって、『こんななら いっそ死んでしまおうかって考えてしまう』って発言を2日の間に3回も聞く。
ちょうどその次の日ががんセンターの診察日。
どうやら国の方針でなるだけ自宅で療養してもらうように言われてるらしく(なんなら自宅で看取る…)
連携室の看護師さんもとりあえず『じゃ、家も遠いし、訪問医をこちらで探しますので、訪問看護師さんと訪問医さんでしばらくやってみませんか? それでも いよいよ限界が来た時は、こちらの緩和ケア病棟に移っていただきますから』って。
がんセンターの連携室の担当看護師さんはとても良い方で義父の状態がまだ良かった時とかは、私も冗談言いまくってたし、おしゃべりしてても楽しい、でも凄く頼りなる存在。
それでも、この時ばかりは私も義妹も頑として首を縦に降ることはできなかった。
だって、あんなに痛みに苦しんでいる義父を目の前にして、どうしてあげたらいいのか、知識がないことがあんなに怖いとは。
妹がまず『入院させてもらえませんか!?』
私も『もう 無理です。じいちゃんも辛いだろうし、私もどうしてあげたらいいかわからない。私も限界です』
ここでとどめの一言!と思って、『じいちゃん、昨日 死にたいって3回も言ったんです!』
連携室の看護師さん、『あ…それは…わかりました! 先生に伝えます!』
そうして、なんとその日から入院させてもらうことができて、じいちゃんも痛みから解放され、その後1週間で緩和ケア病棟に空きが出て移動…。
それから約20日後に亡くなりました…。
ギリギリまで自力でトイレに行ってたじいちゃん。
マグミットのあんばいで、お腹が緩くなった時、トイレまで間に合わず、下着が汚れてそれをすまなそうにしてたじいちゃん。
『そんなこと気にしないで!私も放射線の時は洗うのを断念して何枚パンツ捨てたか(笑)』って言ったら、
『ほうか!?(笑)』って。
で、思いついて、『じいちゃん! 婆ちゃんの紙おむつ履いてみる? そうしたら万が一の時は ポイって捨てたらいいんだし!』って言ったら、凄く喜んで『そうじゃね! それがいいね』って。
一瞬、紙おむつなんて言ったら、プライド傷つけやしまいかと心配したけど、それよりも私にパンツを洗濯させてしまうほうが苦痛だったらしく快諾してくれてほっとした。
最後の最後は病院ではポータブルトイレになり、せん妄が出始め、電話をかけて来て『満月ちゃん! わしは いつ退院できるんじゃ?』って…。
じいちゃんの最後の夜は、そろそろ付き添いをした方がいいと看護師さんに言われ、私が付き添いを始めた初日でした。
その前日に痛み止めを1.5倍に増やしたところ、イビキをかいて一日中寝てるから、私もなんか心配になってそれとなく主治医に聞いたら、増量は通常の増量であること。
寝てばかりなのは、それだけ状態が進んでると言う事。らしかった。
看護師さんに『そろそろ離れた親戚にも来てもらったほうがいいよ』って言ってもらって、旦那から連絡をしてもらう。
昼と夜、交代して付き添いした方が目が覚めた時に家族がいると安心するからって言われ、義妹にも相談しようと思ったところだった。
痰を吸引してもらって、21時消灯。
『今晩は お嫁さんがいてくれてますよ!よかったね!』
じいちゃん、『はい』と返事。
それから2時間おきに看護師さんが態勢を変えたり、痰を吸引したり様子をみに。
その間の私、ゴロゴロ…と呼吸とともに痰の絡まる音が辛そうで一睡もできずに横になる。
3時の回診で、肩を叩かれ『お嫁さん、脈が測れなくなりました。1時の段階では血圧も100あったんですけど…。ご家族を呼んでください』って。
急変だった…。
いつ何が起こってもおかしくないって何回か言われたけど、こう言うことだったんだ。
あまりびっくりしすぎるとびっくりのリアクションって出ないもんなんだね。
ただ『…あっ… はい…わかりました』しか出なかった。
信じられなかった。
もう少し先のことだと思ってた。
旦那に電話して、妹にも連絡を入れてもらい、それからはじいちゃんの手を握って、『じいちゃん、こんなに頑張ってきたのに、こんな事言ってごめんね。
もう少しで〇〇ちゃんたちが来るから、それまで頑張って!もう少しだけ頑張って!』
病院から家は25分。
なので旦那が先に到着。
支度したりもあるしで、1時間半はかかる妹夫婦は間に合わず、最後は旦那のスマホをじいちゃんの耳に当てました。
じいちゃん、娘の声を電話越しに聞き、その瞬間、顔をクシャとさせました!
やっぱり 人間、最後の最後まで聴覚が残ると言うのは本当なんだね。
涙も滲ませて、息子と娘の『じいちゃん!!』の声を聞きながら息を引き取りました…。
今年のお盆はまだ仏様になってないらしく、新盆は来年です。
じいちゃん、最後まで頑張ってくれてありがとう。
最後、お世話させてくれてありがとう。
合掌