世の中のいろんな問題について考えるとき

皆さんは正論の前では負けてしまう(笑)

たとえばビーガンや動物愛護団体やボランティア活動

なんかおかしいなと感じながらも

でも相手の主張は正論であるから反論が難しい、、、

 

このことについて考えてみよう

 

まず私の考え方で言うと、

『正しい事が必ずしも人間にとっての正解ではない』ということ

正義を求めて自分自身の存在を善なるものにしようとしても無駄なのだ

善も悪も含んでしか本当の人間は存在しない

少なくとも人間が生きてゆくとはそういう事だと思う

動物の命を尊重しようとかのビーガンの主張は正論っぽく聞こえるが

食肉自体は人間の自然な欲求なのに、そこを捻じ曲げては人間の本性は存在しない

生き物の命を尊重するとはまさに正論ではあるが

人間はどこまで行っても、傲慢で自分勝手な生き物なのに

それを無視して正論を唱えたところで矛盾が生じる

 

私は、ビーガンや動物愛護やボランティアを否定しているのではない

それぞれの人々が自分の考えで行動するのに何ら問題はない

ただ、自分らの主義主張を正義で通そうとすることに凄い違和感を感じている

わざわざ正義の御旗を立てなくとも

可哀そうだと思うから活動しているとか、

人の為になると気持ちいいから活動しているとか

そんな思い込みの理由でいいんじゃないか

何故、あの人たちは自分達が正しくて、

あなた達が間違っているという主張をするのだろう

そんな主張を聞くたびに私は思うのだ

人間が人間である事を否定してどうする?

悪いと知りながらでも、生きてゆくために認めざるを得ない部分を切り離して

人間は人間には成り切れない

我々は神のような存在になれるわけではないのだ

 

私は立派な考えや高貴な思想のみを主張する人を信じない

弱いところや悪いところやダメなところを持ってして

初めて人間としての深みや面白みを感じる

不完全な存在である人間が、完全な正義を主張しても胡散臭いだけである

いくらあなたが正論を吐いたところで

己の不完全さにその正論は負かされてしまうのだ

ドラマの主人公にでもなったつもりで

どうか自分の行いを正義だなんて思わないでほしい

正義なんて一人に一つづつあるのだ

テレビの時代劇で悪人をバッタバッタ切る事が正義なら

切られた側の残された家族はどうなる?

よく考えてほしい

そんなものを正義と呼ぶなら、こんなに残酷で無慈悲な世界はない

 

あなたの主張する正論って机上の空論に過ぎない

頭で描く理想は、たかだかその程度のものでしかない

そんなものを追いかけてたら、不完全な自分とのギャップに苦しみますよ

『生きる』って意味はもっともっと深い清濁の底にある

その清濁の底にあるものこそが人間にとってのまさしく正論なのだ