例の花束放り投げ事件で

ライジン代表として榊原さんが世界に向けて

土下座をして謝罪してた

榊原さんの行動云々は置いとくとして

土下座そのものに対して前々から思うところがあるので話してみたい

 

まず、そもそも土下座そのものが生理的に大嫌いである

昔、世話をしていた若い男の子が

ある不正な行いで私に土下座で謝罪してきたことがある

当然その子は、それが潔い最大限の謝意であると思っていたのだろう

ところが、私がそれを見て烈火のごとく怒りだしたから

彼は何が何だか分からなくなった(笑)

 

若い男の子のプライドの捨て方に私は腹が立ったのだ

土下座をすれば許される

そういう暗黙の約束があるみたいな勘違いをしているのだ

プライドを捨てる事が謝意だと思っている時点で

それは心が謝意ではないのだ

心から謝るって形や決まり事ではなく

自分の反省を相手にぶつけて、

ただひたすら相手の反応を真摯に受け止める以外に手段がない

 

私には土下座行為はその段階を省いた誤魔化しにしか見えない

たぶん、世間的には無抵抗でございますみたいに見えて

許してやろうって雰囲気になるんだろうが、

そんなの誰のためにもならない

形より中身が大事なのは当たり前の話じゃないか

 

私に言わせれば、大の男が土下座なんて金輪際するもんじゃない

プライドを捨ててまで謝らなければいけないことをしたなら

腹を切ってお詫びするか、一生逃げて暮らすかを選べ

それがいいか悪いかは分からないが

土下座ってそれぐらい生死を越えたところにあるもんだと思う

 

安易に土下座する人の心理も

それを見て相手に許容の姿勢を見せる人の心理も私には分からない

人間には言葉や表情で伝わるものが十分あるのに

土下座でどうこうしようなんて前時代的な三文芝居に見える

日本人には伝えたい気持ちを形に変えるっていう風習があるけど

土下座だけは、なんか形にだけ拘る虚像みたいで気持ち悪い

私はどんなに腹が立っても、

土下座をしてプライドを捨てた人間の姿など目の前で見せられるのはごめんだ

そんな三文芝居に付き合うつもりはないので

見るのもやるのもまっぴらごめん蒙る