さてもさても世の中には無神論を唱えて

自分は神になど頼らない強い人間アピールをしたい人がいる

本当はただの無関心無知のくせに

宗教を信じてる人間を弱いと決めつけ見下した態度をとる

 

神を否定することは人間の弱さの否定だと私は思っている

病気になれば医者を頼るし、困ったことが起きれば他人を頼る

独りで生きれる強い人間なんていないのに

神に頼る弱さだけを否定するのは片手落ちだ

日々の不安から逃れたいために人間には神が必要なのだ

 

じゃ、ずばり 神とは何か?

 

色んな解釈があるが、神が観念的な存在では

日々の不安から救われることは難しい

そこで人間に近しい形でキリストやアラーなどの神を作る必要があった

 

元来、人間とは不完全な存在である

不完全な感情や思考が故に絶対神を持ちたいという気持ちになる

でも、不完全な者が作り出す物が完全になるわけがない(笑)

ここに宗教の教えに矛盾が生じる

宗教の考え方がどこか胡散臭く狂信的なものになってしまう

 

笑い話になってしまうのだが

『信じるものは救われる』という言葉は

信じる事と救われることの因果関係を証明できていない

何故なら救われるために信じるのであれば

それは真に信じていることにはならない

でも、こういう人って多いよね

救われたいがために信心してるってのが本心ですよね

救われたいが強すぎるからカルト教団や霊能者に騙される

冷静に考えれば間違っている事でも信じてしまうのだ

何処までも矛盾の宗教は人をより狂信的にしてしまう

私から言わせると、狂信的に信じるものは救われない(笑)

 

ここで私の宗教観というか

17世紀のオランダの哲学者スピノザが唱えた『汎神論』であり

日本の神道の考え方でもある宗教論をご紹介したい

 

『この世のすべての物に神は宿っている』

 

日本で言うところの八百万(やおよろず)の神ですね

またまた年寄りの戯言と思うなかれ!笑い泣きおいで

物質は生命体ではないことは百も承知だ

これを神と呼ぶから科学的じゃない印象を与える

神=自然の摂理 と訳せば納得できるだろうか

 

ありとあらゆる万物に

自然の摂理が働いているのは理解できる話でしょう

それで、その自然の摂理の謎を解いていくのが

科学であり、宗教の教えなのです

自然の摂理を解くのが科学であり

自然の摂理を説くのが宗教です

 

 

もし貴方の信じる宗教に矛盾があるならば

それは自然の摂理とは呼べない

そういうものを神とも呼ぶべきじゃない

いくら救われたいからと、

何にでもすがればいいってもんじゃないからね

 

ここにアインシュタインの神に対する考え方を載せておく

 

『神とは人間の弱さが生んだ産物以外の何物でもない』

 

思い悩み苦しみ迷う人間という生き物

人間の弱さもまた、自然の摂理の中にある

人間の弱さを否定して無神論者になる必要などどこにもない

弱い我々には矛盾しない定理が必要だ

 

この全知全能の宇宙の自然の前では

我々は敬虔な信者になるべきなのだ